やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

梅の花

梅の花は、地べたに座って見るのがいいな。木の根もとちかくに座って、上にまっすぐ伸びる枝の迫力を感じつつ、列をなした白い花と青い空をいっしょに眺めるのが味わい深いと思った日曜日。

 

うめざわ

※味噌汁の大冒険、第、えっと何弾だろう。4つめくらいかなあ。えと、今日は牛乳。あ、ほらほら聞こえた、まじかよげえええ。いやさ、聞いてよ、あの糸井重里がほぼ日で書いてたんだもん。インスタント味噌汁をお湯のかわりに牛乳でといてみたと。で、おいしかった、でも当然だと。なぜならば、味噌バターラーメンはうまいからだと。で、私もやってみたわけさ。だし汁の煮立つ鍋に牛乳を注ぐ。なんだろう、透明の液体を濁らせるのってちょっと罪悪感あるね。だってほら、ポイントオブノーリターン感めっちゃあるじゃん。ああ汚れてしまった悲しみに。え、あ、うん、で、罪悪感とともに味噌をとく。さあ牛乳味噌汁罪悪感入りのできあがり。味見。あ、うん、まずくない。ほらあるじゃん、和風クリームパスタみたいなやつ。牛乳系の味するのに、海苔とか味噌も入ってる感じのやつ。ああいう感じ。あわなくはない。うすいクリームスープみたい。でもうん、やっぱりふつうのだし汁がいい。

家で焼いたシンプルなのを欲している

さいきんめっちゃホットケーキ欲があって、家帰るたんびに「あーホットケーキミックス買ってくればよかったー」って思ってるんだが、Gmailの下書きをさかのぼって見てたら「todo160307」のなかに「ホットケーキ焼いて冷凍しとく 30分」って項目があった。3月はホットケーキの季節。

 

うめざわ

※明日こそ。

祈りってなんだ

祈るって、意味わかんないなーと思ってて。だって、なんも変わんないじゃん?「我らの日用の糧を、今日も与え給え(©️主の祈り)」って唱えたところで、カネもメシもふってこねーよ。

と思いつつ、中高6年間、学校で毎日主イエスキリストに祈りを捧げてたんだが、さいきんLadyGagaをひたすら聞いていてふっとわかったことがある。祈るっていうのは、いったん自分の問題ではなくす、ということなのかもしれぬ。

祈りって、基本的には「私だけではできないので、助けてください」じゃないですか。今の私の問題を、神様でも主でもイエスキリストでも阿弥陀仏でも八百万の神でもご先祖様でも、なんでもだれでもいいんだけど、いったん棚上げする。そうすることはつまり、オレにはできねえって諦めることなんだわ。きっとそれは、オレがオレの全部を決められる!っていう全知全能感をぽいすることだ。

全知全能感があると、うまくいってるときは楽しい。けど、だめになってきたときとってもつらい。だって、「いま状況がよくないのは、オレに力がないからだもっともっと頑張らねばギギギギギ」って歯を食いしばることになる。
祈るのはその逆。「私もう無理」って自分に見切りをつけることじゃないかな。「だからサムシンググレートよ、よろしく!」って。そうすると、幸か不幸か力が抜けて、楽になる、んじゃないかなあ。ガガ様聞いてるとどうしても「悪人正機」という四文字が頭を駆け巡る。

 

うめざわ

※ガガ様、宣教師。

スタンプラリー人生

その人は、スタンプが押せたら、それでいいんだと思う。
スタンプでいっぱいになった紙を見て、それで満足なんだと思う。

そのスタンプ台のまわりになにがあったとか、
どんな人がスタンプラリーに参加してるとか、
だれがこのスタンプラリーを企画したんだろうとか、
そんなことは、きっとどうだっていいんだ。

私は、その人が欲しいスタンプを集めるためだけの人員で、
関心があるのはスタンプが集まってるかどうかだけ。

思いどおりのスタンプが押された台紙が家に帰ってきたら、
それを奪いとって、にんまりとながめる。

スタンプ台紙以外にも、おもしろいことあるのになあ。
その途中で会った人、見たもの、思ったこと、
家にいるその人の代わりに私が感じたこと、
いっぱいあるのに、それはいらないんだよなあ。

ほかの人が押してきたスタンプ眺めて、なにが楽しんだろう。

 

うめざわ
※昆布茶おいしい。こぶちゃっこぶちゃっこぶちゃちゃちゃ

すごもりびと とをひらく

二十四節気だといまは「啓蟄」で、七十二候でいえば「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」なんだって。

地中で冬ごもりをしていた虫たちが、早春の光を浴びて温もった土を啓き、這い出してくる、という意味です。「虫」とはいいますが、この場合はいわゆる昆虫だけではなく、蛇や蛙、蜥蜴など、土にひそんで冬を過ごすさまざまな生き物をさすとされます。(啓蟄

 二十四節気の「啓蟄」と同じ意です。それにしても、虫たちがもぞもぞと土から顔を出す様を「戸を啓く」とはなんとも洒落た言い回しを用いたものです。人間も、さすがに土中で冬眠はしませんが、陽光に誘われて戸外に出、さわやかな風に吹かれたくなるのはこの頃ではないでしょうか。(第七候 すごもりむし とを ひらく)

アプリ「くらしのこよみ」より)

お昼にひなたぼっこしてる人が一気に出始めた。人間も虫と同じだなあと思って、 いとおしくなる。あったかいのはうれしいもんね。

 

うめざわ

※紹介したアプリ、「うつくしいくらしかた研究所(http://www.kurashikata.com/)」提供。とても雅です。友だちに教えてもらった。

※あとは、例のごとくほぼ日とのコラボ。ほぼ日刊イトイ新聞 - くらしのこよみ 七十二の季節と旬をたのしむ歳時記

ありがとう過剰

ありがとうって言わないと断れない。

たとえば、あさっての方向からお誘いがきて、興味ねえんじゃくそやろう返信するだけありがたいと思いやがれやこんちくしょうって思ってたとしても、メールくださりうれしいですお声がけいただけて光栄ですあなたさまのことはとっても素晴らしく思っているのですええそうです世界一でございますけれど、ってえんえんポジティブな言葉を積んで置かないと、断れない。

あーやだ。自分がいやだ。イヤだからイヤです、ってもうそれだけでいいはずなのに、言えない。断わりたいけど、ありがとうをふりまくのが面倒だから、返事をせず連絡をスルーし続けることになる。で、返事してないのを気にし続ける。不健康。

 

あと同時に、ネガティブなこと言われたときに、ありがとうを連発するのも悪い癖だ。
言いにくいことなのに言ってくれてありがとうね、とか、聞けてよかったありがとうとか。そんなに言わんでもええのにってくらい言う。それは、「耳の痛いご指摘ありましたが、私はえらいので怒ったりせず聞きます。むしろ、ありがたがっちゃうくらい、人間の器おっきいんだもんね、だからぜんぜん気にしてないもんね!」って主張したいからです。私は。あー、いやだ。


ありがとう、多すぎる。もうそんなにいらないわ。

 

うめざわ

※感謝抜きコミュニケーション強化月間