音がないのがあたりまえ
耳が聞こえない人から手話を習っていたときに、その先生が言ったんだ。
「ぼくは、生まれ変わっても聞こえない人生を選びます」
これほんとうにびっくりしたの。
すごいな、と思ったの。
でも、たぶん本人はすごいなんて一ミリも思ってないんだろうなとも思ったの。
だって、聞こえないのがあたりまえで、
それでもやってけるんだもん。
聞こえる人からしたら、音のない世界って闇でしかないけど、
さいしょから聞こえなかったら、それがあたりまえだからね。
音のある世界のひとからしたら、ない世界に生きるひとはなんて可哀想なんだ、って思ってしまうけれど、
ない世界に生きるひとはそれはそれで楽しんでるのだよ。
なのにそれを可哀想っていうのは、やっぱり変だ。
ことさら、強いひとですね、っていうのも変だ。
そう見えるのもわかるけど。
人によってあたりまえっていうのは、ぜんぜん違うのですよ。
想像がつかないくらい違うから。
自分とは違う世界ってあるんだよ。
手足がないひともいるし、自分の性別がよくわからないひともいるし、光のない世界に生きるひともいるし、多くのひとが見えないものが見えるひともいるし、泥水がおいしいと思ってるひとだって、いる。
じぶんとは違う、意味わからん、って切り捨てるんじゃなくて、
そういうひともいるんだ、って、とりあえずそう思うほうが、お互いしあわせよ?
梅
※強い弱いとか、もう、どうでもいい。はたからみて幸せか不幸せかも、どうでもいい。他人からはぜったいにわからないってことをわかったほうがいい。きっとね。