技術とは透明にする力
すごいもん読んだ。
なんつーかすごい。
読んでて、そう、そのとおりだよ!!
そういうことだったのね!!って叫びたくなるくらいすごいぞこれ。
ひとことで言うと、技術とは透明にする力であるってことにいたく感銘を受けたのだ。
そのとおりだ、と思って。
私が要約したところで大切なものがぼろぼろと落ちてゆく気がするから、
すこしでも気になる方は本文を読んでもらいたいのだけど(読んで損はしないから)、
ここには、私が思ったことを言語化して置いておこう。
読んでくれてる方に伝えるには不十分すぎるほどの言葉にしかならないだろうけど。
あのね、やっぱりね、ひとが伝えたいことってね、ほんとに一言なの。
一言っていうか、ごく小さな感情のかたまりというか。
かたまり、だな。
自分のなかでは、きちんとかたちがあるもの。
でもね、そのかたまりをきちんと伝えるためには、つまりわかってもらうためには、
適切な順序で適切に説明する必要があるのだよ。
たとえば、
私がいま万感の思いを込めて、あなたに向かって「ぎゃっ!」って言ったところで、
「あら、あなた、昔ねこをふんだときの感覚をとつぜん思い出たのね!そうそう、ねこって踏めるのよね!びっくりするよね!」とかって、あなたにわかってもらうことは不可能なのだよ。
(あ、ちなみに、実家でねこ飼ってたときは、ねこちゃんの足踏んだことが何回かある。ねこ踏んじゃったって現実にありうるのよ)
この、ねこを踏んじゃった感覚を思い出してびっくりしたということとかをちゃんと伝えるためにはさ、
きちんと筋道立てて説明しないといけないわけ。
いまね、ねこふんじゃったってピアノの曲をたまたま思い出して、
そしたら実家でねこ踏んだことを思い出したんだけど、
そもそもねこってさ、四足で歩いてるわけだけども、意外とのろまなとこもあって、
たまにあの小さい足を踏んじゃうこともあるんだよね、
で、そうそう、昔ねこ踏んじゃってさ、そのときねこちゃんはぎゃっ!って言ったんだよね~それ思い出したの~
って言わないと、いくら思いをこめて私が「ぎゃっ!」って言ったところで、
何も伝わらないわけよ。
でもだな、その「ぎゃっ!」ってきもちをさ、
一瞬でひとに伝えることができるのかもしれなくて、
それが、きっとすばらしい技術っていうものなのだと思うのよ。
……。
……。
自分で書いてて嫌気がさすほど私には、どうも技術がないのだけれども、まあ私はこう思ったのだ。
とまあそういうことです。
(にっちもさっちも行かなくなったから、とりあえず引用して締める)
梅
※だめね、これ、技術がないひとが技術について表現しても無理だわね。敗北。