やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

手ごたえというものについて考えようと思ったんだけども

気付いたら、3日前の記事途中でしたね。

あいだあいちゃったけど、一応書いとくか。
 
えと、洗濯物干したり、ほうきで掃除したりするのがすきって話だった…っけ?(じぶんでも覚えてない)
(気になる方は、5月3日の記事をどうぞ)
 
ので、まあそのつづきを書くと、そう、それらに共通するのは手ごたえだということね。
 
こちらが1しか差し出してないのに、過程が見えずに10になってでてくるのは、私にとっては不自然なのよ。
 
たとえば、掃除機。
たしかに床を見たら綺麗になってるんだけど、吸ったごみが見えないから、なんだかよくわからない。手ごたえがないのだ。
 
掃除ってさ、ほうきで掃いたらそのぶんだけがちりとりに残る。
1の労力で、1の結果がちゃんと目に見えるかたちで現れる。
 
掃除機みたいに、1の労力がブラックボックスのなかで10になると、およよよよとすこし戸惑うのだ。
 
じぶんのちからが、心地よいバランスで返ってくるような道具をつかいたいなあと思ったら、どんどん古典回帰してゆきました。
 
掃除機じゃなくてほうき、炊飯器じゃなくて土鍋、電子レンジじゃなくて蒸籠。
 
私にさいきんできた将来のゆめは、電子レンジ捨てることだもん。
 
私そのうち、山で自給自足の生活とかしてるかもな…
 
 
うめざわ
※ゔーあーゔー。うまく書けん。言いたいことはたくさんあるのに。ゔー。ゔー。消化不良もいいとこ。
※せやせや、さいきん中古のコーヒーミルを手に入れてん。豆挽いてコーヒー淹れるようになってん。んも〜ほんましあわせやわあ〜