やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

リーダーシップは気持ち悪い

 

いい加減、リーダーシップをおしつけるのはやめようよ。
 
きのうは、大学のグローバルリーダーシッププログラムというもののなかの講義として三枝さんの話を聞いたのだけれども、まあ、そのプログラムはねー…やっぱりとても気持ち悪かった。
 
大学のリーダーシップ関連の取り組みのなかに気持ち悪い要素はたくさんあるんだけど、大学側の気持ち悪さのひとつに、主体性をおしつける矛盾ってのがある。
 
 
本田由紀さん(『ニートって言うな!』のひとね)が言ってたのだ。
 
@hahaguma: 大学生が主体的でないという調査結果が話題になっているが、しばしば子供が「勉強しようと思ってた時に親から勉強しろって言われるとやる気なくなっちゃう」と言うのと同様、主体的になれなれと言われて却ってうんざりしてるということはないのか?そういう反発心は実は一種の主体性ではないのか?
 
そのとおりだなああああと思うわけです。
リーダーシップというのが、自ら進んでまわりを引っ張っていくという主体性だとすれば、
(ここにもほんとは大問題があるんだけど。往々にして、大学のリーダーシッププログラムでは、リーダーシップが何か教員も学生も説明できない状態でリーダーシップを養成しようとしてる。無理だろ)
 
主体性を身につけろと強制されるのは、矛盾だよね…?
ダブルバインドってやつだよねえ。
そこをカバーするために、学生の自主性に任せて…とか押しつけじゃありませんよ発言とかもあるっちゃあるけどさ、仕組み自体がダブルバインドだから意味ないだろうと。
 
 
でもって、学生側も問題だらけだ。
いまさ、学生にとってはさ、リーダーシップってのはさ、「なんだかわからないけど身につけといたらよさそうなもの」って扱いでしかなくてさ。
 
学生はリーダーシップってのがよくわからないんだけど、なんかよさそうって思っちゃって、リーダーシップ養成うんちゃらっていうのに惹かれる。
そういうイベントとかセミナーとかに出かけていく。
 
そこで、なんかえらそうなひとの話を聞いたり、ポストイットと模造紙を使ったワークショップなるものをする。
(ほーんま、ワークショップってなんやねん。日本語で言えやこんにゃろー)
 
で、さいごにやけに感動的なムービーが流れて(よさげな写真&妙に壮大な音楽&素晴らしい仲間に感謝!君たちは無限の可能性が!みたいなメッセージ)を見て、へんにテンションあがって終わる。
(あれは、ジャンクフードだなー。チープなくせにカロリーだけはある)
 
で、家に帰る。
さて、そのひとには、リーダーシップが身についたのか?んなわけないよなあ。
 
だって、そもそもリーダーシップの実態がわからないんだからさ、身についたかどうかわかるはずがない。
でも養成うんちゃらに参加してじぶんが変化してないってもの許せないから無意識にこう考えるわけだ。
 
 
「なんかかっこいい話きいたオレ!」ってのに自己陶酔して、
それで「成長したんじゃね!」って無意識に勘違いし、(成長ってのが何かもわかってないくせに)
「他のひとよりオレは優れてるんだ!」って自惚れてまわりを見下すだけなんだって。
まじで有害すぎる。
 
で、よくわかんないのに、リーダー的なオレを演じて、なんだか活動的になって、しばらくやって、やってる意味がわからなくなって、燃え尽きて、終了。
 
誰かが言ってたんだ、こんなこと。
 
いたいけな学生はね、リーダーシップリーダーシップっつって鼓舞するやたら熱いひとに接すると、すぐ火がついて、燃えちゃうんだけど、助燃剤いれてもらえないから、一瞬で燃え尽きる。
リーダーシップうんちゃらを学生に押し付けるひとは、ただの放火魔だ…って。
 
ほんとにそのとおりだよ。
学生を無駄に燃やすんじゃない。
ったくもう。いらいら。いらいら。
 
 
放火魔に心酔した過去のじぶんもいやだし、それで燃え尽きたこともしんどかったし、いまだに放火魔がたくさんいるのも事実だし、それで苦しんでるひとがいるのも確かだしさ。
 
くそー。どうしたらよいのだ!
 
うめざわ
※グローバルリーダーを目指すまえに、目の前のひととしあわせな時間を過ごすことのほうが、はるかに大事だと思います。