やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

母の日なんてくそくらえ

お母さんありがとう、ってことばが氾濫するこの時期、しんどい思いをしているひともいるんだよなあ。
 
結構いますからね。
愛を注いでくれたお母さんを知らないひと。
感謝したくてもできないひと。
 
 
たとえば、じぶんを産んでくれたひとが、
じぶんを産んですぐ死んだ、
小さいころに家を出て行った、
事故で亡くなった、
殺された、
じぶんで死んだ、
病気で倒れた、
とかでいなくなっちゃった場合もあるし、
 
産んでくれたひとはいるっちゃいるけど、そのひとが意図的にじぶんを虐待し続けたとか、ゆがんだ愛情で苦しめ続けたとかね。
 
結構いるから。
 
そういうひとにとって、「母の日はお母さんにいつもの感謝を…」とか、「母の日何かするの?」とかはさ、軽く暴力になるのだよな。
 
 
そりゃあ、理想的だよ、自分の両親を
敬愛して、感謝をの気持ちをきちんと伝えるっていうのはさ。
 
でもさ、それがしたくてもできないひとは確実にいる。
 
それがもっと広く認識されたらいいなあと思っています。
 
両親や家族を大事に思えないひとはいるのよ。
でもそれは、そのひとが育ててくれたひとに対して感謝の気持ちをもてない冷たいやつだとか、恩知らずの裏切り者とか、そういうことじゃないのだよ。
 
内田樹先生も言ってるよ〜
 
@tatsuruwords: 愛と共感に基礎づけられ、家族同士が世界の誰よりも深く理解し合い、配偶者たちは夜毎エロスの極限を経験している・・・というようなものを「理想の家族」とするならば、現実のすべての家族はただちに遺棄されて、人々は「理想の家族」めざして「家族探しの旅」にさまよい出なければならぬであろう。
 
理想の家族は理想でしかないからさ、ありえないものだからさ、それに自分の家族があてはまらないのは当然だからさ。
 
じぶんの家族を理想と照らし合わせたら、そらつらい。
両親を敬愛できたらそりゃあ幸せだけど、それができないひともたくさんいるのだよ。
 
だから、「母の日なんかしないの?」とか言われて、
何もしたくないよ、できないよ、私おかしいのかなとか、って思っちゃうひとは、覚えておいたらいいと思う。
 
産んでくれたって育ててくれたって、
感謝できない場合ももちろんあるし、
憎んでしまう場合もあるし、
親を呪ってしまうこともあるけどさ、
でも、だからといって、あなたが冷たくて非情な人間であるわけでもないし、恩知らずの裏切り者というわけでもないし、
べつに、それでよいのですよ。
しかたないのです。そうなんだから。
 
それでも、産んでくれたんだから育ててくれたんだから感謝しなさい、って言うひとは、もちろんいる。
し、産んでくれたのも育ててくれたのも事実だけど、じぶんが頭下げてお願いしたわけではなくて、気付いたらそうされていただけだからさ、感謝できないこともあるのはあたりまえじゃないかしらん、と私は思う。
しょうがないって。
 
というかさ、親を嫌いたくて嫌ってるひととかいないし、誰だってさ親にきちんと感謝できるすばらしい関係が欲しいと思ってるはずなんだけど、
それでも、親を素直に慕えない場合もあるからさ。
そういうひとに対して、親に感謝しろってのはほんと暴力だって。
親を憎んでもいいんだよ、嫌ってもいいんだよ、って言うことが、救いになることもあるのだよ。かなしいけど。
 
街中でね、仲のよさそうな親子をみるだけで、涙ぐむほどつらい思いをするひともいるのよ。しかも結構いるよ。
 
 
うめざわ




※小学校とかのとき思ってたのよ、親あてのプリントとかは「保護者のみなさまへ」って書いてあって、先生とのやりとりする連絡ノートとかはさ「ほごしゃらん」って書いてあるの。保護者=親なんだから、親って書けばいいのになあって。
でも、さいきんやっとわかったよ。保護者、としか言えない関係のひとと暮らしてるひとも結構いるんだって。