やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

誰のためならがんばれる?

じぶんがいることで、誰かが喜んでくれるってのが、人生の醍醐味じゃないかと思うわけです。
醍醐味っつーか、いちばんうれしいこと、かな。
ていうか、それがなかったらほんとうにかなしいだろうなあということかな。
 
きょう仲間うちでごはん会をしたのです。わたしが料理つくりたいから、みんなに来てもらったのです。
わたしはとりあえずいろんなごはんを作れて楽しかったのです。とても。
でもやっぱりそれ以上に、みんなが喜んでくれるってのが、ほんとうにしあわせだったのですよ。
 
やっぱりなあ。すきなことをするのはたのしいよ。でもそれだけじゃ、どっかで行き詰まる。
じぶんがしたことで、誰かが喜んでくれると、どんどん進める。
 
 
ああ、書いててこれを思い出した。
わたし、浪人時代の受験直前、机のまえとか、筆箱とか携帯とか目につくとこに「誰のため?」ってことばを貼りまくってたのです。
疲れたら、それ見て、さあやるぞって思ってた。
ふしぎだよね。受験勉強なんて自分のためだけにする最たるものに思えるんだけどね。
わたしにとっては違ったんだよなー。
 
 
わたしの場合、ほんとうに試験直前になると、テキストとかもやり尽くした気がして、なにもできなくなりかけたのです。
それまでは、この教科書ぜんぶ覚える!まだここ覚えてない!とかっていう動機でがんばれてたのよ。
塗り絵の白いところはとりあえず塗りつぶしたくなるじゃない、そんなかんじでやってた。
 
でも、いちどぜんぶやりきっちゃうと、もうやる気が起きないのよ。白いとこがなくなった塗り絵をしたいとは思わないでしょ。できないことをできるようにするっていう勉強の楽しみがなくなっちゃうの。
 
ただ、受験ってのは、これさえやれば完璧!なんてものはないから、いくら勉強してもし尽くせないはずだから、とりあえずがんばらないといけないけど、もう塗り絵、塗るとこないしなあ、どうしようかなあって。
 
そうなったときに、わたしががんばる動機にしていたのが、「誰のため?」ということ。
 
じぶんの楽しみのためには、もう塗り絵をやりきったけど、見るひとにとっては、もっとこの赤色を濃くしたら綺麗かなあ、この輪郭もっとはっきりさせたら素敵かなあって。そう思うことにしたのです。
 
要はこういうこと。
じぶんの知らない日本の歴史は、もう覚えきったはず。考えきったはず。だからこれ以上やっても楽しくないんだけど、もっともっと繰り返してやって、いい点とって、合格して、先生を喜ばせたい。そういう動機で最後がんばってた。
とにかく、教えてくれてた先生たちを喜ばせたかった。最後は、勉強がたのしいとか、じぶんが受かりたいとかじゃなくて、じぶん以外の誰かのためにがんばってた。そうじゃないとがんばれなかった。
 
 
じぶんのためには、ある程度までしかできないのよ。
そこを超えるときは、喜ばせたい誰かの存在がわたしには必要だった。
 
とてもおもしろいなあとおもったのよ。
利己的なはずのじぶんが、誰かのためにって思うことで、よりがんばれるってのはね。で、ちょっと、そういうじぶんが好きだった。
きっと、人間ってそういうかわいいもんなんだろうな。
 
うめざわ
※きょうは結局5時間で13品出しました。覚書としてメニューをば。にんじんとツナのサラダ・ポテトサラダ・ピクルス・肉じゃが・チャーシュー・アスパラチーズ・長芋の豚肉巻・たまねぎごはん・かぼちゃとにんじんを蒸しただけ・梅おこわ・トマトパスタ・卵焼き・豚肉と大根の炒め煮 … よくつくりよくたべた。