やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

傾斜配点されるコミュニケーション能力

コミュニケーション能力というものの傾斜配点がきつすぎるよね、という話をした。
 
なにかにつけてコミュニケーション能力ばかり取り沙汰されて、これがあるのが素晴らしいひと、これがないとだめなひと、みたいな評価がされすぎてるよなあという話。
 
人間の能力というのはもちろんたくさんあって、事務作業にものすごく集中できるとか、掃除を完璧にこなせるとか、歌がうまいとか、話を聞くのがうまいとか、そういう能力のひとつにコミュニケーション能力というものがあるはずなのだけれど、コミュ力というものは、そういう能力のなかで傾斜配点の比重がいまやたら高い。
 
センター試験でさ、どんな大学受けるにしても、数学は200点満点のまま、国語の点数は10倍加算とかだったら、やっぱりつらいじゃない。2000点満点とかだったら、挽回しようがないじゃない。
国語だけできたら、どんな大学でも行けますよ、っておかしいじゃない。
反対に国語ができないやつは、受験生にあらず、みたいなさ、そういうのは、きついじゃない。
でも、いまはそんな風潮がありすぎる気がするのよねん。
 
 
国語ができるひとがやたらとちやほやされて、
化学ならできるんだけど、っていうひとはあんまり評価されない、みたいなさ。
全員が国語でいい点取らねばならない、みたいな感じがある。それはきついよー。
 
 
たしかに、ひととひととが生活するうえで、他人と意思疎通をする能力は必要だ。ぜったいに必要だ。
でも、それがすべてじゃないし、その能力がひとと比べて少し低いからといって、そのひとが劣ってるわけじゃないじゃない。 
 
数学ができて、物理ができて、化学もできて、っていうひとが、国語できないだけで、評価されないのはおかしいし、
逆に、国語だけやたらできるひとが褒め称えられるのもおかしい。
 
なーんかなあ。
ひとと話せることも、数式とお話できることも、同等にすごいことだと思うんだけどなあ。うぐぐ。
 
センター試験で英語・国語・数学IA・数学ⅡB・日本史・世界史・地理・化学・物理・生物・倫理・政経・現社ぜんぶ満点とれるかよ。
 
ひとは、スーパーマンじゃない。
それぞれに、できることとできないことがあって、
それぞれの得意なことと苦手なことが違うから、
誰かと協力しあうんでしょ?
 
ひとりのひとが、全科目満点取るのは無理だけど、
国語のできるひと、英語のできるひと、数学のできるひと、そうやって何人か集めたら、全科目満点取れるんだよ。
 
それでいいじゃない。
 
ひとりでぜんぶできちゃったらさ、
社会にたくさんひとがいる意味なくなっちゃうよ。
 
できないことは、できるひとに頼ったらいいんだよ。
そうしなかったら、なんのために社会にひとがたくさんいるのさ?
 
 
うめざわ
※ドアだけたくさんあっても、車はつくれないぜ