やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

「使える服」って、何に使うのだよ?服は着るもんだ

「使える」って言い方がさいきん気に食わんのだ。
 
「このワンピはスリーウェイで使えるのでぇ〜」というセリフを聞いてさ、服を「使う」ってやっぱり変だと思ったわけだ。服は着るものだぜ?使うって…。うーん。
 
ああ、「使える人」っていう言い方もお前何様じゃって感じよなあ。
 
「使う」ってどうも、ものをありがたく受け取ったり、味わったりする感じがしないからいやなのかもなあ。
 
すり減らす、感じがするよね。
もしくは、利己的に利用する感じ。
なんか嫌。
 
 
………!!ひらめいた。
 
ああ、使うっていうと、目の前の行為ではなくて、その先にある目的みたいなものを達成するための手段として今がある、という感じだからいやなんだ。おお、わかった!!!
 
 
…自分ではすごく納得したけど、これわかりにくいよな。
 
たとえばこういうことだ。
 
「このワンピ、使えますよ!」っていうときは、そのワンピースが、オシャレという目的のための道具でしかなくて、
そのワンピースに備わっているはずの要素、たとえば、着心地がいいとか着ていてウキウキするとか、そういうことが排除されちゃうから、なんか嫌なんだ。
 
 
服は使うもんじゃなくて、着るものであって、着るということが目的のはずなんだけど、オシャレをする(もっとひどく言えば、人からオシャレだと思われる)という目的のためには、服を着るということが手段になっちゃうんだ。
その主客逆転が嫌なんだ。
 
 
おぉ。わかったわかった(嬉)
 
 
以上、なんか気持ち悪いよなあ、なんでだろう、と思ったまま、そのもやもやを書いていったら、勝手に理由がわかってすっきりした、という私の頭のなかをそのままご覧いただきました。
 
 
うめざわ
※「文章の自走性」って言葉を知ったのだ。ほんとそうだよなー。文章書いてると、私の考えていなかったところへ勝手に行っちゃって、思いも寄らぬところに着地するんだよな。
文章を書くって頭のなかにあるものをそのまま文字にすること、ではないんだよな。自分でも想像してなかったものが産みだされるのが、やっぱり面白くてやめられない。