やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

体育会系は使いやすい

体育会系出身者が重宝されるのって、使いやすいからでしょうが。
それなのになんで、体育会系の部活を死にそうになりながら続けるのさ!!!!!!!
 
よくわからんのだ。ほんとに。
なんだかなあ。
みんながこぞって目指すグローバル人材とやらへの違和感と一緒。
※前書いた記事:
使い勝手がよい人材になるために、あなたつらい思いしてるのかい?って思う。
使われるために生きるのかい?って。
 
 
友だちから聞いたんだって、就職活動で部活歴を細かく履歴書に書かせるところがあるというのを。
戦慄を覚えるぜ。
途中でやめたりしてると、集団行動のできないやつみたいに見られたりとか。
あほかっちゅうね。
 
まあ、そういうふうに言う人たちは、嫌なことを我慢してやってきたのでしょう。
だから、下の人間にもそれを押しつけたいんでしょう。

気持ちはわからんでもないけど、ばかだなぁと思う。

 
嫌じゃん。やなことを我慢してするの。
 

私は、体育会系という単語からは無縁の世界に生きているので、体育会系の方々にはあまいなと思われるかもしれないけど、
理不尽なことに耐える我慢は、好き好んでしなくてもいいんじゃないのって思う。
そんなんふつうに生きてたら降ってくるんだからさ、自分でわざわざ我慢しにいく必要なくない?と思うぜよ。
 
だってさーあ!ここが重要なんだけども、
 
しんどいことに耐える=努力じゃないから。
かつ、
真剣と深刻も違う。
 
 
私は一瞬だけだけバイトで体育会系的なノリのところにいましたが、
胸張って言います、すぐやめました。
理不尽さに耐えられなかったから。
 
でもね、私は努力ができないわけじゃないよ。
まわりからストイックだと言われることがままある。
 
でもねえ、私にとっちゃそれはべつに「努力」っていう努力じゃないのよ。
ただやりたいからやってるだけで、べつにしんどくもなんでもないのだ。
 
たとえば、浪人時代はほぼ1年間、友だちに3回くらい会っただけで、あとは人と話すことを含む遊ぶことをほぼ封印して勉強してたけども。
べつに、それ自体はしんどくなかった。
 
やりたいことだったからね。
 
もっかい言う。
努力=しんどいことではない。
 
そして、真剣と深刻は違う。

浪人時代、とても真剣だったけど楽しかったよ。笑ってやってるから真剣じゃないなんてことはない。ちょっと考えたらわかるだろうに。
 
そこをごっちゃにするから気持ち悪いことになるんだよ。
真剣=深刻だから、つらいことも我慢してやるのが真剣に取り組んでる証拠!とかってなるんでしょ。
 
はああ。きもちわるい。
 
嫌なことを我慢するのが美徳だっていうのは、
支配者層にとって便利な考え方だからね。
家庭から国家までどんな組織においても。
 
いやなもんはいやじゃ!
それでいいと思うんだけど。
 
ただ。
嫌なもんを我慢することで得られる恩恵は確かにある。
だから、それを拒否するならば、その恩恵は受けられないと思ったほうがいいと私は思う。
 
けどな。
見返りを求めた我慢を続けてさ、恩恵があるときはいいよ。
その見返りが十分にもらえなくなったときどうするのよ。
 
考えたほうがいいなと思う。
 
うめざわ

※こうやってブログでいろいろ書いてると、数年連絡とってなかった友人とか先輩後輩から、お会いしたことのない方までメッセージがきます。思わぬ嬉しい副産物。今日はそのメッセージへの返答です。