やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

人を殺しながら生きる

ぼくは、人を殺しながら生きている。
そう思って生きている。
 
このことばを聞いて、その人は、とても強いなと思ったのだよ。
 
また聞きしたセリフだから、真意のほどは確かめられないけど、強いよなあ。
 
私もそう思って生きてゆこうと思っている。
 
 
ほんとうに悲しいことだけれども、
自分がただいるだけでも、傷つく人はいるはずなんだよ。
 
中高時代は、私の構成要素は80%くらいが劣等感だったと思うのだけど、そのころは頭が良くて可愛くて性格もいいっていうまわりの友人先輩後輩を見て、ひたすら落ち込んでいた。
彼女たちを目の前にするだけで、しゃべるだけで、「それに引き換え私は」とひたすら自分を惨めに思ってた。
 
そういう風に感じていると、こうも思うわけさ。
「ああ、私の存在自体で苦しんでる人もいるのかもね」って。
 
さいきんは、facebookを見てつらくなる自分がいやだ。
みんなが、なんの気もなくあげているであろう幸せそうな写真を見て、ただつらくなる。
 
ああこの人はいま幸せなんだろうなあ、その幸せは私には縁のない、もしくは縁のなかった幸せだよ、私はそれもってないわって思って悲しくなる。
 
てことは、逆に、私が何の気もなく言うことで傷つく人もつらくなる人も、いなくはないだろうなあって思うのだよ。
そう考えると、あんまりものが言えなくなるんだけど、でもそう思う。
 
自意識過剰と言うならば言え。
 
私も、まわりを傷つけながら生きている。
みんなそうだよ。
 
でもそれは、高層ビルのガラス窓にぶちあたって死ぬハトがいる、くらいの感じで、たぶん誰が悪いわけでもないし、一定数そういうことがあるのは仕方ないのかもしれないけど。
 
それでもだ。
自分の足元に死んだハトがいるのは、いやだ。
いくらビルの利用者が多くても、いくら繁盛してても、いやなもんはいやだ。
でも、ビルは崩れるわけにもいかない。
 
 
そうなったら、
自分は、人を殺しながら生きているって認めながら生きるしかないのですよ。つらいけど。
 
死ぬハト、骨折するハトも一定数いるのは仕方ないと諦めたうえで、
ビルを利用する人たちが、より気持ちよく楽しく過ごせるように考えるのが一番いいんだろうけども。
 
でもさあそんなに割り切れる話じゃないわなあ。
 
うめざわ
※っていうことを書くと、あなたがいるだけで私はうれしいよーとかって思ってくれる人がいなくはないのは知ってる。が、私の幸せを願ってくれてると無条件で信じてた人が、楽しそうな私の姿を見て嫌な顔をしたという事実もあって、それは結構私を打ちのめしたのだと思う。