やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

2003年に今の自分は想像できた?

ねえ、10年後の自分とかって想像できます?
2023年7月31日の自分です。
 
何歳?
誰といっしょにいる?
どんな仕事してる?
どんな家に住んでる?
何が楽しい?
 
じゃあ逆もやってみようか。
2003年7月31日の自分は、2013年7月31日のいまの自分を想像できましたか?
 
わたしゃ、どっちも完璧にむりだ。
無理だよ。
 
2003年って、私は東京の中学2年生で音楽系の部活に所属してたわけだけど、
10年後、大阪に住んで商店街のおっちゃんたちと海に行くなんて、逆立ちしたって想像できないわ。
(ほんとは、ストレートでいけば社会人2年めだったはずなのに、まだ大学にいることのほうが信じ(自己規制))
 
 
2023年の私は33歳だけど、私はそもそも来月何してるかもわからんからなあ。
 
私は、自分の未来なんて想像もできないし、
まず想像する気もないし、
もうちょっと言うと、将来が、現在の想像の範囲内におさまってて欲しくない。
 
 
私もむかし罪作りなことしたわけさ。
新入生に対して、これからの大学生活考えよう!みたいなイベントをやったりして、そのなかで、大学入って1週間くらいの後輩たちに大学2年目のぺーぺーがさ、「4年間でやりたいことをリストアップしてみよう!」っていうワークショップなるものをしたのだよ。
あほなことしたなあと思う。
 
先週まで高校生だった人よ?大学っつったら、勉強とバイトとサークル活動(しかもテニサー)と恋愛、くらいしか思い浮かばんやろ。
そんな人に将来像書かせて何になるわけ?
 
1年後、Twitterで大学の先生をいじるようになってるとか、まさかそんなこと想像できるわけないじゃない。
 
2013年の私がさ、2009年の私に対して、
「あんたは大学生活を石橋っていう街に捧げる
ことになるよ」って言ったとしても、ぜったいに信じないね。
ありえんやろ!って思うよ。
だって、大学入学当初はなんたる古びた街に来てしまったのかと絶望してたわけだから。
でも、現実はそうなってるわけよ。
 
先のことなんてわからんて。
 
私が行き当たりばったりの生き方をしてるだけかもしらん。
もちろん、入学当初から留学したいって言ってて、ちゃんと留学した友人もいる。目標立ててそれをきちんと達成していく人もいるよ。
 
けどさ、そういうものを立てられない人はさ、無理して考えんでもよくね?って思うわけ。
将来のことなんか想像したって、思いどおりにはならんよ。
それは諦めとかそういうことじゃなくて、想定外のことが起こるのは、楽しいことじゃないかなって思うわけ。
 
たとえばだ。
私はいつか北海道に行きたいと思ってる。
 
きちんと目標を立てられる人は、いつ行くか決めて、飛行機なのか船なのか電車なのか交通手段を決めて、お金を貯めて、予約してその日を迎えるのだろう。
 
でもさ、こういうのもありじゃないかなと思うわけ。
 
私は北海道に行きたい。でも、どうやって行くかは決めてない。
いつ行くの?え、いつでもいい。
 
のんべんだらりと日常を送ってたら、友だちが「今年の夏、札幌の親戚のうち行くけど、家広いしいっしょに来る?」「え!!行く行く!」「どうやって行くの?」「金ないしヒッチハイクで」「まじか!でも楽しそうだから行くわ」ってこともあるわけさ。可能性として。
 
不確定な未来がこわい人ももちろんいると思う。
でもね、不確定な未来は、予測ができないからとても楽しい場合もあるよ。
 
JALとか予約しとけば、確実に北海道には行けるわ。
 
けど、たとえば、ヒッチハイクで北に向かって、乗った車が仙台までしか行かなくて、泊めてもらった場所がボランティア活動してる人が泊まるような施設で、たまたま仲良くなった人ががれき撤去してて、なんか気付いたら翌朝と気仙沼にいて、気付いた休み終わってた、とか、それはそれで面白いと思うわけ。
 
 
どっちがいい悪いじゃなくて、
想像する未来を確実に手にするのもいいし、
まじ思いつきもしてなかったけどこれはこれでおもろいかっていうことしててもいいよねって思うわけ。
 
自分でがんばってストーリーを描かなくてもさ、なるようになるんじゃね?って。
んで、なるようになるのは、わりとおもしろいんじゃね?って思うわけよ。
 
気仙沼で、がれき撤去してたら、腕怪我して、
病院行って、そしたらなんだか看護師さんと仲良くなって、
翌年結婚!とかになったら、
それはそれで完璧じゃない?
 
 
 
うめざわ
考えようによっちゃあ、たとえ新卒の大学生が「自分が一生やりたい仕事が見つかった」と言ったとしても、それは離乳食が終わったばかりの2歳児が「カレーの王子様は世界で一番おいしい食べ物である」というのと同じぐらいかわいい話かもしれないよ。それぐらい、普通は、「知っている選択肢の幅が極めて狭い時点でベストな選択肢を見つける」のはとても難しいものだと思う。