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やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

リア充は、近付くと消える

A「こんなに若い子たちと遊んで、Bさんむっちゃリア充じゃないですかー!」
B「な、リア充ってなんやの?彼女がいたらリア充?」
A「や、そうとも限らないっすね…」
B「家庭があったらリア充?」
A「そしたらほとんどの人リア充ですね」
 
C「楽しそうだってことですよ」
 
 
なるほどなと。
リア充ってのは、楽しそうに見えるやつらのことか。
すっごいきれいに納得した。
そういうことか。
 
私のなかで、リア充って近付くと消えるものだったんだけど、その謎が解けた。
 
なんか、たとえば彼女がいるとか、サークル活動とかで忙しそうで、おおこういう人をリア充
と言うのね!キラキラしてるわ!と遠巻きに見るような人がいるわけさ。
なんだけど、そういう人と近付いてみると、学費払うためにめっちゃバイトしないといけないとか、進学のためにいい成績とらなきゃいけないとか、なんかふわふわ甘ったるいものじゃない何かも抱えててさ。
そういうのを知ると、あれ、この人ただのリア充じゃなかったのねって思うわけさ。
 
つまりね、リア充ってのは楽しそうに見えるって、ただそれだけの話で、中身はまったく問うてない言葉なんだなと。
 
自称リア充ってのがあまりいなくて、いてもとても胡散臭い気がするのは、それがつまり「オレいま楽しそうに見えてると思うぜ」ってことの表明にしかならんからだ。
 
自分が楽しいかどうかじゃなくて、
楽しそうに見えるかどうかってことに力点をおいてるから、なんかもぞもぞするんだ。
 
まわりからどう見られようと自分の趣味、たとえばアイドルを追っかけるとかウーパールーパーを飼うとかひたすら雑巾を縫うとか、そういうことに没頭してて、毎日楽しいですって人は、自分のことリア充って言わないし、リア充と言われても何の意味もなさないんだろうなと。
 
だって、原理的に考えて、
リア充って見られたいってことは、自分はリア充じゃないって自分で思ってるってことだからね。(人間は、人間に見られたいとは思わないわけで)
 
で、リア充!って思うことは、つまり、リア充な人って見られてる私!とイコールだということだ。
(こういうことを、他者の視点を内面化するって言うのかしら!)
 
リア充だと思われたいってことは、幸せだと見られたいってこととたぶん同じことで、それはつまり、いまの自分は幸せじゃないって思ってることと何も違わないわけだ。
でも、リア充っていうのは、外側のパッケージのことだから、リア充っぽく見える人と同じことをしても、中身の幸せまでついてこないということだ。
 
 
おお、自分では劇的にわかった。
面白くて、思いつくままに書いてしまった。
 
今日は眠いからこのままにしとくけど、そのうちもう少し伝わるようにもっかい書くかも。
 
うめざわ
リア充ってことばは、「リア充っぽい!」っていう表現で私のまわりではいちばん使われる気がしてさ。リア充っぽいってことは、リア充じゃないってことで。(本物っぽい、は、本物じゃないけど似てるってことでしょ)どこまで行っても、「リア充」にはなれなくて、リア充ってどこにいるのかなーって思ってたんだけど、たぶんわかった。リア充はかげろうだ。あるけどない。