死ぬことも残されることも不幸じゃなくて
書くかどうか、相当悩んだけど、書くわ。
うん。
余命について。
つい最近、5年近く使ったパソコンがお陀仏になりまして。
あ、しばしお付き合いを。
まあ、その2ヶ月くらい前から、だいぶ調子は悪くてね。
立ち上げてから、3動作くらいしかできなくなってねえ。
ワードファイルを開く→書く→保存しようとしてかたまる、みたいな。
こりゃまずいなと思って、早めにデータは外付けハードディスクに移して、
しばらく経って電源いれたらさ、
なんていうの、ツールバーっていうの、ウインドウの枠みたいなやつがさ、
突然Windows2000みたいなさ、のっぺりした灰色のカクカクしたやつになっててさ。
Vistaだったのに。
おお、そろそろか、と思って、しばらく様子見してたら、ついに動かなくなった。
ある日突然、バチンと壊れたらさ、やっぱりとっても困ったと思うのよ。
でも、あのパソコンの場合、前触れがあったからさ、だいぶ助かったのね。
壊れかけたときは焦ったけど、最終的にはよかったわけさ。
こんなことに引きつけて言うなって思われるかもしれないんだけどさ、
人間もそうだと思うわけ。
余命、ね。
余命がわかってしまう、っていう事態は、
おそらく、人生最大の衝撃を与えるものだと思うんだけど、
余命を知ることができるっていうこと自体は、
ありがたいことなんじゃないかなって、やっぱり思うのよ。
私は、身近な人ががんになったってだけだから、
本人の気持ちにはなれないけど、
周りの人間からしたら、知れてよかったなって思うよ。
ずっとあると思っていたものが、あとこれだけでなくなる、って目の当たりにするのは、
やっぱり尋常じゃないショックだけれども、
でもでも、少ししかないって思えば、
否が応でもゆっくり味わってしまうからねえ。
そういうふうになるとさ、
なんでどうしてって思うことも、そりゃああるんだけれども、
ていうか、ずっと、
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでって頭ん中駆け巡るけどさ、
そんなことは、意識しなくても考えちゃうんだからさ、
意識的に考えるときくらいはさ、
知れて良かったなって思うようにしたほうが楽かなって、思います。
だから私だって、こうやってわざわざ書きます。
よかったよって。
うめざわ
※死ぬって人生最大の不幸みたいにされてるけど、それほんと?