やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

迷子になって可愛いのは子猫ちゃんだけだからね…

 私いまからすごい名言いうけどいい?

あのね、あのね、

「あてもない散歩は、目的地を決めた瞬間に、迷子になる」

 

あのさあ、私は、もう自己紹介で枕詞に「方向音痴の」ってつけたいくらい、

「当方より1ミリでも高度な方向音痴の方がいらっしゃいましたらご一報ください!値引き致します!」って胸に張って迷子になりたいくらい方向音痴なんだけれどもさあ、

(だってそうとでもしないと、本気で道に迷ってるのに、ネタでやってると思われて冷ややかな視線あびるから)

あれだけ入り浸ってる石橋でも、いまだに迷子になっておんなじとこ行ったり来たりしたり、4年以上通う大学でも生協の購買部がどこかわかんなくてぐるぐるして、後輩に道聞いて本気でビビられたり、4月にキャンパスで迷える新入生に道聞かれて連れてったら私もわかんなくて「…ここさっき来たとこですよね」って言われて「ほら今立入禁止のとこ多いから遠回りしてるの」ってにこやかに説明するくらいなんだけど、

まあ人並みに散歩はするわけ。

 

ひどい方向音痴の私でも、1回道を曲がると60%の確率で、2回曲がると80%の確率で、どっちから来たかわからなくなるけど、まっすぐ来た道をまっすぐ帰ることなら90%の確率でできるから(10回に1回はそれでも迷うから人生は不思議)、

散歩のときは、出かける前に、「できる限り道を曲がらない(曲がるなら1回まで)」という条件を自分に言い聞かせてから家を出る。

でもねえ、根がガキだから、おもしろいもんあるとそっちに行っちゃうわけさ。

ねこちゃんとか見つけた日には、追っかけてくしね。隠れたら出てくるまで待つしね。

そうやって、るんるん歩いて、さて帰ろうと思うと、はたと気づくわけです。

 

さーて、ここどこだ?

 

いままでは、楽しい散歩だったのよ。

でも、自宅っていう目的地を設定した瞬間に、一気に私は迷子として焦りだすわけだ。

自宅から2km圏内で、これほどまでに迷う自分にイライラしながら歩き続ける。

 

これねえ、結構人生の真理だと思うわけさ。

 

私の場合、ここ行こう!とかって決めても、よほどのことがない限り辿りつけないから、

ただひたすらイライラするだけなんだけど、

ふらふらあるくぞーって思って散歩すると、どこへも行けなくても、それなりに楽しくて。

 

目的とかさ、そんなんないうちはさ、手段それ自体が楽しめる気がするのね。

でも、目標を設定した瞬間に、いまの作業は、現在地と目標の差異をただ埋めることになってしまって。

それならさ、目的達成とかもういいから、ただゆるゆると散歩したらどうやろか、と思うわけでごわす。 寄り道もわき道もぜーんぶ散歩じゃ!

 

人生というのはだな、何を成し遂げるとか、そんなことじゃないわけよ、

悩める若者よ、そうであろう?

墓場には稼いだ金は持っていけんのだ。

ならば、目標に向かって険しい顔して邁進するよりも、

友と笑いながら、そこらを散歩したほうがよいのではないかい?

 

いまなら、iPhoneという文明の利器もある。

これなら方向音痴の人間でも、自由に散歩ができるのである。

世界全土の地図を手に歩けるなんて、すばらしい時代ではないか。

 

これこれ、暗い顔したお嬢さんよ、家でふさいでいても仕方あるまい。

まずは、iPhoneでももって、家のまわりを散歩してみるとよい。

しからば、かならずや、人生の真理を体得できるであろう。

 

ほう…、iPhoneをもってしても道に迷う?

家から1.2kmの距離にあるはずのスーパーに未だたどり着いたことがない?

現在地が示されても?道すじを青線で引いてくれても?

40分歩いたら別のスーパーに着いたからそこで買い物した…?

 

………ならば、

最新の文明をもってしても負かすことのできないそなたの方向音痴度をみなで讃えようではないか。そなたの歩行をすべてあてもない散歩へと変える、Appleにも負けないそなたの方向音痴を!

 

うめざわ
※さいきん、生まれて初めて「この人私より方向感覚ひどいな」って思う人に会いました。父でした。