やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

道具になりたい

私、道具になりたいんだわ。

なんか、すとんとわかった。

そうそう、今は、使い勝手のいい道具になりたいと思ってるんだ。

 

おお。自分で言って、自分で感動した。(安い人間)

ちゃんと説明するとね、ゴッホの使う筆とか絵の具になりたいわけ。

美術館に飾られる絵にならんでもいいし、もちろんゴッホにならんでもいいのだ。

 

以下自分語りになりそうだなあ。まあいいか。

 

たぶん2年くらい前までは、まじで私は自意識のかたまりでしかなかったから、自分が褒められること、自分がすごいと言われること、そればっかり欲しがってた。

自分の描きたい絵を描くんじゃなくて、これ描いたらこの人何?って物議醸すんじゃねっていう斜め上ポジションを狙ってたというか、とにかく私自身が評価されることしか考えてなかった。

 

んだけども、たとえば、石橋の居酒屋を紹介するフリーペーパーを作ったりさ、石橋っていう街自体をとりあげた本を作りたいって奔走したりしてたら、こう、気づくと、自分っていうものがするんと落ちてった感じがしたのよね。

私は媒体だ、って思いがすごい強くなって来たのだよ。

私は石橋っていう街が好きだから、それをとにかく伝えたくて、誰かに石橋の良さが伝わればそれでいいってずっと思ってるのよね。私が褒められるとか認められるとかそういうのは関係なくて、その先。

これはねえ、私にしたらものすごいパラダイムシフトというか、大転換だったのよね。

自分っていうのが、ゴールから手段になったというか。

 

さいきん、ほんとに驚いたことがあって。

私は、物を書いていくことで生計を立てて行きたいのだけれども、そう言ったときに「物書きだったら、あれか、最終的には直木賞?」って言われて、ほんとーーーーうに驚いてしまったのだわ。

わかんない、評価されたいっていうのが原動力になるのは、むっちゃくっちゃわかるけど、それを一番のエネルギーとして走り続けて、評価された人っていないと私は思ってるからさあ。まあそもそも小説とか書きたいわけじゃあないからそこから全然違うんだけど、ああ私は評価されるためにやりたいって思ってるわけじゃないんだなってわかって、ちょっと安心した。もちろん褒めてはもらいたいけど。ちょっとは邪念が落ちたかなと。

 

私は幸いにも無じゃないからさ。言いたいことあっても、空気だったら何もできないけど、幸運にも身体があるし、言葉も使えるし、もちろんインターネットも使えるからさ、わりと便利な道具になれるんじゃないかと。

 

描きたい絵がある人にとっては、私がそれをうまく創り出せるような使い勝手のいい筆になって使ってもらえたらいいし、もちろん、私自身がこれいいなあ!って思うものがあるときは、それを綺麗にわかりやすく描けるような筆になりたいのだ。ああ、すごいわかった。すっきり。

天才画家とか別に憧れないから、これ使いやすい!描きたいように描けるわ!ってそういう道具になりたい。で、願わくば、ゴッホには「やっぱこの筆じゃないとなあ」って思っててもらいたい。

(…そこの自意識はがっつり残るのよね)

 

うめざわ

※これ、このインタビュー、読んで世界が変わったというか。表現っていうものにちょっとでもひっかかりを感じた人は読んだら、最っ高に面白いと思う。

技術とは、なぜ、磨かれなければならないか。- ほぼ日刊イトイ新聞 

※あーーーーーーーーーーーなんつうか、今晩は秋すぎてなんか嫌!