やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

ベールのかかった世界は歯がゆい

古本とかに巻いてあるあの薄紙、それに昨日言及したので、今日も薄紙につつまれたような本を紹介しようかしら。

江國香織でしょう。ぜったいに江國香織でしょう。

 

ちなみにいうと、私、江國香織はどーーーーーしても読めないというか、どーーーーーしてもはまれないのですが、江國さんが綴る文章が、綺麗なのはよくわかる。綺麗すぎるのだ。(このとき私は「綺麗」って書きたいなあ。「きれい」よりもっときれいで、壊れそうで高貴な感じ)

感覚的に、なんかこの人、私とは別の世界にいる感じがするのだよ。私が見てる生々しくて汚くてくさくてべとべとした世界じゃなくて、この人は、高貴なもの美しいもの儚いものしかない綺麗な世界に住んでるのかしらって。

ていうか、この人のを読むと、もしかして世界はとても美しいものなんだけど、私の心根の問題としてべとべとに見えてるのかしら、って思ってしまうな。

と同時に、この人の見方は、あらゆるものにベールを一枚かけてしまった感じに思えるんだよね。もしくは、なんで、ベールをかけたものを描くんだろうってふしぎに思う。

ごつごつしたざらざらの荒削りのものは、どこへ行ってしまったんだろうって。この人の手にかかると、ぜんぶモヤがかかってしまう。もっと、生々しくて汚いものが私は見たいのよ!!って思うんだよなあ。(その点、真反対なのは林真理子)

 なんか、気取ってる感じに見えちゃんだよ。私には。たとえば、皇族の方々がただ笑うだけでノーブルな空気を漂わせることができるように、江國さんも書くだけで、すこし現実離れしたような高貴さが出ちゃうんだろうなあと思うけど、私は下衆な人間だからそれほんとなのかよ!?!?って言いたくなるのだ。

 

たとえば、私のなかで江國香織といえば『冷静と情熱のあいだ』ですが、なんでフィレンツェのドゥオモなんだよ!!っていう。恋人と再会の約束ですよ、未来のイタリアで。日本人が。非常に映画的ですよねえ。めっちゃくっちゃに綺麗で、絵になるから、そのなかに入り込んでたら最高に幸せなんだけど、一歩ひいて見ちゃうとなんでそんなに綺麗なのさってその作為さに腹が立つ感じ。読んだときは、だんとつに辻仁成のほうが好きだった。

たんに、たとえでいうと、私が好きなのは、がちゃがちゃ使っても割れない厚手のマグカップ(600円)なんだけど、江國さんがつくるのは、ウェッジウッドのティーカップ(ソーサー付き)で、普通ソーサーいらないじゃん!てゆか持ち手細いしちっさいんだけど!って言ってるだけの話なんだけどねこれ。

だから、たまーに薄くて割れそうなカップ使うと自分がすっごく上品な人になった気分がするように、たまーに「ローマの休日」とかそういう白黒映画見る感じで、江國さんの本読むと、うっとりしすぎて現実世界にもどって来られなくなるよなあ。

 

とか思って、『泣く大人』とか読み出したら、はまった。ああ。綺麗じゃないか。いいじゃないか!ああ。綺麗過ぎる。けど、いいじゃないか。なんかディスった感じになってごめんなさい。そうだよね、嫌いだったら6冊も本もってないよね。たんに、綺麗すぎて近づきがたかっただけか。高嶺の花か。そうかそうか。

なんかさあ、やっぱりさあ、江國香織さんの『泣く大人』とかさあ、そういうの繊細で美しい本が似合う女の人になりたいよなあ(結論)

 

冷静と情熱のあいだ―Rosso (角川文庫)

冷静と情熱のあいだ―Rosso (角川文庫)

 

 うめざわ

※いままでに「これあなたにそっくりだから読んでみて」って渡された小説が2つ。1冊は、江國香織『思いわずらうことなく愉しく生きよ』の長女麻子。(ちなみにもうひとつは、村山由佳『ダブル・ファンタジー』上巻の奈津)