やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

音の暴力からは逃げられない

音の暴力性にたじたじになることがある。

 

匂いもそうだけど、それが鳴った瞬間、香った瞬間に、

まとわりついていた記憶が一瞬で小爆発するかのように出てきて、

ずっとくすぶってるあの感じ、あれを体感すると、

ほんとうに暴力的だなあと思う。

 

ぜんぶ、綺麗にぜんぶ、引きずりだしてくるもの。

 

始まった一瞬で、ぜんぶ思い出す。

教室のどのへんに座ってて、誰としゃべって、何が好きだったか。

そういうものが、考える間もなくぜんぶ出てくるこの怖さ。

 

「この曲を聞くと、2003年10月の記憶が蘇りますが、再生しますか?」みたいな、そういう断りがあればいいのに、って何度思ったことか。

いいえを押して、逃げる時間をください。

 

音からは逃れられないんだよ。

お店で鳴ってる曲が、どうしても過去の記憶を思い出させるもので、回れ右したことは、何度かある。

それでも、数秒聞いた音から、ぜんぶ手繰り寄せられてしまうからね、記憶。

聞いてしまったら、終わりなんだ。

 

べつに嫌な記憶だというわけではない。

けれど、今は思い出したくない、封印しておきたい、そういうものは結構ある。

たとえば、中学高校のとき、文化祭とか体育祭で使った曲よね、そういうものには染み付いて何度洗ってもとれないくらい入り込んでるから。いろんな思い出。

嫌なわけではないけれど、今の日常を送る自分にとっては、鮮やかすぎて眩しすぎて扱えないから出てきてほしくない。見るなら、もっと色あせてからじゃないと。

 

耳に入れたくない音は、ほんとに入れたくない。

苦肉の策として、私は、雨音のざーーーーだけが延々響く音声とイヤホンを持ち歩いています。これがあれば、音から逃げられるって思って一応安心。お守りみたいなもんです。

 

うめざわ

※先日、この世のレジャーのなかでもっとも苦手な部類に入るカラオケなるものにお連れいただいた際、3曲連続で自分のなかでのいわくつき曲が歌われてしまってですな、尻尾を巻いて出てきてしまいました。いまだに頭のなか流れてるからもう…

※あとはあれだ、本屋で延々リピートされる本とか映画の宣伝ムービーとかどうにかならんかね。ちょっと違うけど、あれも暴力。2分くらいの繰り返しで「倍返しだ!」とか聞かされる身になってみてよ…そういうときも雨音を取り出します。本屋で音声を流すのはほんとやめてほしい。音テロ反対。