やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

制御された暴走は怖くない

とりあえず思考の片鱗を文字にしておくと、

後日自動的にあまたからまとまった考えの塊がががーっと吐き出されるから素敵。

私の頭、ほっとけば朝、卵産んでくれてるニワトリみたいだ!(ぼさぼさって意味じゃなくて)

 

そう、暴走の話。

あのね、制御されてるって思うとね、やっぱり基本的には怖くないのだ。

だってほら、原発でさえ、「あんだーーこんとろーーぅる(キリッ)だと怖くない気がするじゃん。気がするだけだけどね!

 

「どうなるのか、わかんない」

たぶんこれが一番の恐怖だ。

 

だから自然災害とか怖いよね。原子力もそうだろうけど、人智を超えちゃうとやっぱり怖くてさ。

 

だから、人はきっと占いとか予言とかその他オカルト的なものが欲しくなるんだよ。私はそう思ってる。

説明がついたら何でもいいの。たぶん。

 

たとえば、おととい足くじいて、きのう携帯壊して、 きょうめっちゃ怒られたとか、そういうのがあってもさあ、ああ運悪いんだなって、とりあえず自分の説明できる枠におしこめれば楽になるわけ。

ばらばらな事実の羅列にね、なんでもいいから意味を見出すと安心できるのよ。

 

だからなあ、想像を超える悲惨なできごと、たとえば東日本大震災とかは、国際組織の陰謀による人工地震であった、みたいな突飛な言説がでてくるんだろうねえ。

たとえば、無差別殺人とかの犯人に、いろんなストーリーがかぶせれられるのもそういうことだろうなあ。犯人は非正規雇用で生活が苦しく、また心を許せる友人もおらず、社会的承認がうんぬんとか。そういうのないと、怖すぎるもの。

 

んー。

っていうことを考えたのは、石井ゆかり『月のとびら』を読んだからで。占いの本もずいぶん書いてる方だけど、おもしろかったんだよなあこれ。

なんていうかさ、「私は言い訳にしています」ってことを書いてくれてるのよね。

占いで、良いことが起こらないとされるときの場合、動くべきかとどまるべきか、みたいな話のなかで、

そういうものに縛られる必要はないと思う、そういうものは「うまく行かなかったときの言い訳」「すれ違ったときの気休め」にすると書いててな。(p.139)

他にもたとえば、「納得のいく結果がでるまで何回か占いをしてしまうのはなぜか」みたいなことも書いてあったけど、私の理解では、要は、占いが、人の運命を表したり決めたりするものじゃなくて、なんの意味もなさそうな日常とかできごとに意味を与えて楽になるために使うのがいいんじゃないの、ということを言っている気がして。私は、占いに関してはそういう付き合い方がとても好きだから、うんうんと思いながら読んだ。

 

なんか逸れた。まあいい。

 

要はあれだ。

同じ暴走でも、枠のなかに押し込めたら楽になる。勝手に思えばいい。

嫌なこと続いたら、運悪いな、そういう時期なのかな、とか。

「運悪い」とか、別に何も言ってないからね、これ。

原因を示すわけでもなく、解決につながるわけでもないけど、そう言うだけでなんとなく納得するからさ、適当に自分を納得させるのも、悪くはないよ。

 

うめざわ

※まあこれは、真実かどうかは関係ない自分に都合のいいことだけ信じる!っていう頭の悪い考え方だから注意は必要。