やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

あなたの女偏差値・男偏差値いくつ

たぶん私たちは、想像以上に偏差値教育に縛られている。
学校選びだけじゃない。
たぶん、恋愛においても、偏差値で考えてるわ。

自分の好みじゃなくて、偏差値重視。
偏差値の高い人と付き合うことこそが、自分の価値だ、みたいな。


あったでしょ、昔。
「あの子駿台模試で総合偏差値65くらいあったんだってよ」
「まじで!?じゃあなのになんで、聞いたことないとこ行くの…?」
とか。

自分の偏差値が65なら、65以上のところに行くのが正しい。それ以下を選ぶのは、もったいない。学校とか予備校とかはさあ、なるべく「上」に合格させようと必死になるけどさあ。


それ、たぶん恋愛でも繰り返してるんじゃないかな。
「私は女偏差値がだいたい55だから、付き合うなら男偏差値が55以上じゃないと駄目」
そういうの。

人気がある人をつかまえられたら、好きかどうかはおいといて、なんか自分に価値がある気がする。
「この人を連れて歩ける自分」に酔う。

これさあ、いや、あるよ。
あるけどさ、違くね?

自分にちゃんと自信がないと、自分の好みとか、どっか行っちゃうんだよね。「これ選んだら、馬鹿にされるかも」とか「好みとかわかんないから、とりあえず人気なやつ」とか、そうやって、付き合う人まで選んじゃうことは、結構ある。

で、相性よくなくてつらくなってきても、
「この人は人気なはずだから、それを好きでいればいいんだ…」
「偏差値高いんだから、逃したらもったいない…!」
とかって、しがみついちゃう。

なんか違うぜ。

偏差値って、価値じゃないからね。
人気を示すものだからね。

「人気がある=価値がある」って見えちゃうけど、
「人気がある=不特定多数にとって価値がある」ってことで、
かならずしも「あなたにとって価値がある」そういうことじゃあない。

ほんとに私それ欲しいの?って、考えたほうがいい。
難しいんだけど。

誰だってそりゃ「へーこの人と付き合ってるんだ!(羨望の眼差し)」とか言われてみたいけどさ、それは、べつに「この人と付き合ってる」ってことに意味があるわけじゃなくて、後半の羨望の眼差しが欲しいわけでしょ?羨ましい、すごいって思われたいがために、「この人と付き合ってるんだ」があるわけでしょ。

ありがちだけど、健康じゃあない気がする。

なんだかなー。

うめざわ
※買い物するとき、価格ドットコム調べまくる私が通りますよっと