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やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

「愛のおわり」を見たよ大阪で

何かの感想とか紹介

 舞台「愛のおわり」を見てきた。10日くらい前だけど。

や、ほんと、強烈だったのだ。凄かった。衝撃的すぎた。

 

まず上演前にパンフレット見るじゃない。で、役者さんがふたりしかいないのを確認。へーどうするんだろ。で、作・演出のパスカル・ランベールさんの挨拶を読み、監修の平田オリザさんの挨拶を読む。

「パスカル・ランベールは、私と同じ年に生まれ、劇作家と演出家を兼ね、公共ホールの芸術監督を経験し、お互いの作品をお互いの劇場で上演し合い、そして、二人とも、同じ年に、女優である妻と離婚した。」

ただごとじゃないぞ。

 

と思って待ってたら、靴音だけ鳴らして、役者ふたりが舞台下手奥から登場。

男性が下手奥で留まり、女性は上手手前まで、かっかっかと足音だけで。

開演アナウンスもなにもなく突然。舞台は床も壁もぜんぶ真っ白、置いてあるのは観葉植物らしき鉢植えみたいなのが2つ。それだけ。

 

男性のセリフスタート。

もう終わりにしよう、もう無理だ終わりだ、 と長々女性にむかってしゃべる。ひたすらしゃべる。息もつかないただただしゃべる。

女性は男性のほうを向いて、立ち、微動だにしない。まじで微動だにしない。表情ひとつ変えない。

離婚話のようだ。別れたい旨を、難しい言葉でまくしたてる。

あああああ見に覚えあるぞこれ。男女の喧嘩のとき男はやたら観念的な言葉並べ立ててしゃべりまくるんだ。まじうっとおしいよなこれ。最悪だ。ああ。

ていうか女の人どうすんのこれ?

喧嘩のときにやるけどさ、今は私がしゃべらせて、話し終わるまで一切口挟まず聞いてねっていうのやるけどさ、え、これお芝居だけど、女の人これずっと立ってるだけなん?

わ、そろそろ40分経つけど、微動だにしないのだが。えなにこれ。

あ、ちょっと背中丸めたわ、やっとうごいた…

この人しゃべらんのか…喧嘩の言葉をただただ体に受けるなんて、架空の世界でも体験したくないわ絶対やだ。すげえなこの人たち。

ああああ、涙おとしてるわそらそうだわ残酷すぎるわこれ…

 

と思いながら1時間ちょっと。

男性だけがまくしたて、女性は何も発せず、ただ言葉で殴られつづけて、ぼろぼろになる過程を見る。

詳しいことは省くけど、そのあと立場逆転。2ラウンド目突入。

 

形式的な面でも、そうとうに驚いた。

音も装置も照明も特になし。モノローグ×2回の舞台。あったのは役者と言葉だけ。

(正確にいうと、モノローグの合間に謎の子どもたちの歌が入ったんだけど、よく消化できなかったから言及しない)

 

まあ、もう、それだけじゃなくて、この恋愛関係の終わりの悲痛さがすごかった。

男の人、やたら賢そうなふるまいするけど、それほんと自己防衛のための虚勢でしかないよね、それ突いたら倒れちゃうんだよねああつらいね、とか。

よく覚えてるのは女の人のセリフだなあ。

「なによ虚構って、よく言えたわねキョコーキョコーって」

言うよねえこういうこと。「今までの関係はぜんぶ作りもんだったんだ」みたいな男のセリフを受けての言葉だけど、あああああるよなああるよなあって。

 

悪意をもって傷つけたいんじゃないはずなのに、自己防衛のために殴り合いをつづける不毛さとか、言葉に殴られてそれで傷めつけられる人間の体とか、かつて愛し合っていた人たちがここまでになってしまうことのむごさとか、言葉を尽くしても対話に決してならない平行線とか、言葉の脆さとか、観念の無意味さとか、思い出や体験、時間の厚みとか重さとか、実態あるものの強さとか、現実と虚構ってなんなんだとか、えっちょっとまって最後は道化が必要って話なのなにこれ、とか、なんか、人と人との関係性においてまとわりついてくるものをありったけ、目の前に提示された気がしてなんかクラクラした。

私、だれかと親しくなることとか、無理なんじゃね?とか。

 

わかんない。

わかんないけど、見てよかった。とても。

舞台ってほんと実際見に行かないとぜんぜん意味ないのねってことも、よくわかった。これ書いててもよくわかった。書いても意味ないやぜんっぜん。

ただただ熱量の高さにクラクラするお芝居でした。

 

 

「愛のおわり」

 

うめざわ

グランフロント大阪でやってました。グランフロント、読み方がどうしても変な気がするけど、水場とか広場みたいなのがあるのがわりと好きです。