自分が着てる服、ほとんど見えないのに
自分が着てる服って、見えないよねえ。
正確に言うと、自分が着ている服の全体像って、鏡に映さないと見えないよねえ。
なんだけど、基本的に、服って着心地よりも、鏡に映った姿を優先して選ぶよねえ。
え、違う?
着心地が何よりも優先です、素材と形が命ですって方、そりゃすごいや。
「見た目の美しさと着心地、両立せねば着ません!」これは財力が必要だなあたぶん。
だってさー、試着室には必ず鏡あるじゃない。
自分で服着てる姿ってほとんど見ないんだかから、自分のためだけに着るんだったら必要ないよねえ。
似合うかな♪っつって、鏡の前でハンガーにかかった服を顔の下にあてがうのは、
他人にどう見られるか気にするからよねえ。
んー、何が言いたいかというと。
自分では見えないわけよ、お気に入りのワンピース着てて可愛い私!っていうのは。
でも、見えなくても、好きな服着て嬉しくなるっていうのは、「お気に入りのワンピース着てて可愛い私」っていう意識があるからでしょう?ていうかそれしかないよねえ。
もっというと、「お気に入りのワンピースを着て、みんなに可愛く見られる私」っていう自意識で、オシャレをするわけでしょう?
なんつうか、すごい高度な遊びだなと思ったわけ。
私から見える私、じゃなくて、他人からこう見られているはずの私、をひとりで想像して、それで楽しむっていうのは。
高度だけど実体がないというか、それどうなんだろうっていうか、不毛じゃねっていうか、なんというか複雑ですよね。人間の自意識ってほんと難しいと思うんだ。
私たちは、生活のかなりの部分でそういう乱反射する自意識みたいなもんで、楽しんだり苦しんだりしてるけど、それって傍から見ると、相当不毛に見えること、ずいぶんあるなあと思ったのだ。
こういうちょっと通っぽい酒場で一人呑める俺すげえとか、こんなオシャレなごはん作れちゃう私素敵!とか、こんなすごい仕事してるボク偉いとか、なんつうかそういうの、鏡見るよりさあ、自分の体で着心地確認するほうが先じゃねって思うわけ。
服はさ、確かに社会生活送るためには、8割方見せるためかもしらんけどさ、あなたの生活は見せるためのもんじゃないじゃーん。誰かに見せるために生きてるわけじゃあないじゃーん。
そこらへん、SNSでわけわからんことになっちゃうことが多いよなあと思いながら、居酒屋フリーペーパー編集時代の「わー盛り上がりすぎて気づいたら朝☆(ゝω・)vキャピ」みたいなツイート思い出して台所でおかゆこぼした私ですわよ…
帰れよマジ…
うめざわ
※飛散したおかゆでコンロが悲惨。ごめんなさい。