覚えてる誕生日、いくつありますか
「facebookに誕生日を教えてもらってお祝いするのって、なんか申し訳ない気がする」
そう言ってるのを聞いた。なんかわかるけど、なんでだろうと考えた。
たぶんあれだろうな、自分が誕生日忘れてたことに気付かされるからじゃないかな。
仲のいい友人でも、FB右上の「〇〇さんがお誕生日です」を見て初めて思い出したら、そりゃうしろめたくなるわな。ごめん忘れたって。
でも、忘れてたことを隠して、ふつうにウォールに書き込むわけだ。「お誕生日おめでとう!」
FBが生活の一部になる前は、私は携帯で誕生日の管理してて、携帯のカレンダーみないとわからなかった。でもこれなら、自分でこっそり仕入れた誕生日を携帯のアドレス帳に入れて、それがカレンダーに反映されるようにして、っていう、自分の努力があったから、わりとドヤ顔でお祝いすることができた。「覚えてたよ!」「なんで知ってるんですか!?」ができた。
いまFBに教えてもらうようになっちゃうと、なんか自分の努力を怠ってる気がして、ちょっと、ごめんってなる。それはわかる。
だからこそ、ちゃんと覚えてた人に対しては、「FBに見なくてもわかったよ」アピールをさりげなくする。「起きたら〇〇の誕生日だって思い出してさ!」とか。ああ。健気な努力。
FB上では「誕生日おめでとう」「覚えててくれてありがとう」のやりとりは絶滅してしまったんだろうな。
「覚える」ことの価値って、どんどん下がってる気がするんだよね。
極端なことを言うと、覚えることより、情報ウォッチングする能力のほうが価値があがってる気がするのよね。
つまり、誕生日を覚えるんじゃなくて、毎日FB確認して誕生日だったらメッセージ送るとかそういうほうが役に立つ。
でもね。
だからこそかもしれないけど、外部装置に頼らずに、体ひとつで、自分の誕生日を覚えててくれたら、そらうれしいわ。
だって、覚えるって、すごいことだもの。
何かを自分の一部にするってことだから。
そら特別だよなと思う。
いいねえ、なんでもいいから自分のこと覚えられたいねえ。
さてと。
ま、つらつら書いたけどな。本題はこれからだ。
この記事見て、なにか気づきませんかね?
なんで誕生日のネタなんだろう?
あれえ誰かの誕生日なのかな?あれれ?
いいから、怒んないから、
ブログ見て気づきました、でいいから、
それも隠して、覚えてたよ!でもいいから、
これ読んだら、私に何がしかのアプローチをするのだ!いますぐ!
あ、ブツも待ってるよ。マテリアルガール☆
……まあいいよ。
こう言ったってたいして連絡こないのは知ってる。
だってすでにたくさんメールもらってるもんね!(意地)
だから、ほんとは覚えてるんだけど、恥ずかしくて直接なんて言えない//
っていう人のぶんまで、自分でお祝いするよ。
ハッピーバースデーじぶん。
うめざわ
※今日は早めに更新しておきます(打算)