やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

ホームのきわだよ

 ホームのふちに立っている。

そういう感覚が拭えない。

 

たぶん30cmずれたら、落ちるの。ホームに。

でも、なんでかわかんないけど、

私は24年間、とりあえず落ちずに歩いてきたんだ。

ほんと、不思議。すごいこと。

 

この場合落ちるっていうのは、誰かを殺すとかそういう罪を犯すとか、自分で死ぬとかそういうことなんだけど。

ほんと、よく落ちずにいるよなと思うんだ。ぎりぎりだよ。

 

だからね、不思議なのだ。

たとえば、人をいじめたり殺したり、わかんない、社会的に外れるとされることをした人に対して、ためらいもなく侮蔑的な視線を浴びせるのがね。

 

え、あなたも同じホームの上いるよ?

あなた、落ちないと思ってるけど、一瞬転んだら落ちるよ?って。

 

自分が罪を犯さないでいられるは、たまたま。

べつにすごい努力して、歩いてるからじゃあない。

道を外れてしまったと言われる人が、怠けてるからそうなったとか、

狂ってるからそうなったとか、そういうことじゃあないんだよ。

ほんと、ただ、そうなってしまっただけでさあ。

 

グラデーションだよ?

普通の人と狂人って。二分法じゃあない。

 

なんだかなあ。

みーんな、一瞬転んだら、ホームに落ちるくらい危ないとこ歩いてると私は思ってるんだ。

でも、人が溢れるホームのなかで、たまたま真ん中のほうにいる人と、ホームのキワにいる人がいるんだ。

落ちてしまった人は、たまたま端っこに行ってしまって、たまたま押し出されて、落ちてしまった。そう思うんだけどなあ。

 

だから、落ちた人は自分のせいだそいつが完全に悪い俺たちとは違う狂ってる、とか普通に言っちゃうの、さ、そういうのさ、ほんと意味わからないのよね。

自分だけ絶対安全なところにいるって、なんで思える?

 

うめざわ

※友人のfacebook見て考えたこと。こういうことは、山本文緒の『ブラック・ティー (角川文庫)』だ。山本文緒作品は全部読んだけど、そのなかで、いちばん山本文緒さんっぽいんじゃないかなと思う短篇集。大好き。書いてあることは、小さな罪を犯す人のこと。でも、これ読んだら人間全部に優しくなれる気がする。

 


ブラック・ティー (角川文庫)

ブラック・ティー (角川文庫)