やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

なくなるけれど、大事にする

なくすのが恐いから、大切なものは増やしたくない。そう思うことはある。

でもほんとにそうなのかなあ。

 

私はねこが好きだ。

実家ではねこを2匹飼っている。

 

ペットを飼っている人なら、きっと一度は言われたことがあるはず。
「でもさあ死んじゃうから嫌だ」
 
私はそのたびにわからなくなる。
 
大切なものが増えるということは、その分だけ、なくしたときの悲しみは大きくなる。そりゃそうなのだ。
でもさあ、たぶんそれだけじゃないんだよなあ。
 
実家にはかつて3匹のねこがいた。
1匹は2年前亡くなった。
 
そりゃ悲しかったさ。中学生のころから毎晩私の部屋で一緒に寝ていた猫だ。
冬は必ず布団のなかに入ってきて、私の右の脇腹で寝るのが好きだった。
大学か実家を離れて、それからは年に数回しか会えなくなった。具合が悪くなったと聞いて、何度も大阪から帰った。最後に連絡があったときには、もう間に合わず、亡骸を見に帰った。泣いた。
 
いなくなってしまったさみしさと、あの子の人生はあれでよかったのかという後悔のようなものと、いままでありがとうというあったかいものとがないまぜになって、泣いた。泣いた。
 
ひどく泣いたけれど、それでも、彼女を飼わなければよかったとは泣いていたときも、もちろん今でも思わない。一緒にいられてよかった、やっぱりそう思うのだ。
 
大切なものは、なくしたときの悲しさは凄まじい。でもでもでもでも、大切なものをもっていたという思い出は、それを補ってあまりあるものだと、私は思っている。失っても、それ以上の何かを残してくれる。
だから、私は猫を溺愛する。人間の寿命の4分の1もなくて、かならず看取らなければならなくても、ためらうことなく溺愛する。
それでいいと思っている。
 
うめざわ
※動物って、十年以上一緒にいても一度も言葉交わすことはできないけど、性格とかがはっきりわかるから面白いよなあと思う。ほんとおんなじねこちゃんはいないよなあってわかる。