自分1号2号3号
「あの人は大人だ」「あいつはこどもだ」
何が判断軸なんだろうと考えてたら、
ひとつは、視点の高さなのかなと思い立った。
つまらない言い方をすれば、客観的かどうかってことなんだけどさ。
もうちょっと具体的にすると、自分何号まで見られているかってことだなと。
物理的に想像してもらいたいのだけど、
まず、自分を見ている自分2号をつくる。
なにかの画面を見てる自分が見えますね。
つぎに、その2人を見ているじぶ自分をつくる。
画面を見てる自分1号を見てる、3m先に座る自分2号を見る自分3号。
それを見ている4号、5号…
この方法は、大人たばこ養成講座とかの寄藤文平さんの『絵と言葉の一研究 「わかりやすい」デザインを考える』に書いてあったのだけど。
やってみると結構たいへんで、7,8号あたりで、自分が宙に浮いてくるのですわ。
すっごい高いところにいっちゃうのよ。
でまあそういうこと想像してたら、
つねに自分1号しかいなくて、2号さえもいないのが、もっとも子どもで、
だいたい3号くらいまでいるのが大人なのかなあと思ったわけ。
つねに宙から自分見られたらやっぱり悟りに近いかなあ。
うめざわ
※年取っても大人になれるわけじゃないんだよなああ