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やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

つぶあんこしあん論争

私が読み返したいもの たべものの話

あんこについて書こうと思う。

私はあんこが好きだ。というか、和菓子が好きだ。

小学校のころから、バースデーケーキの代わりにバースデー和菓子をねだっていたくらい和菓子が好きだ。いまだって、まんじゅうを手に入れるためならば、近所の和菓子屋さんの看板娘がランドセルをしょって体当たりしてきたって受け止める。宿題だってなんだってやる。

 

けれど、いままで、私は立場を曖昧にしていた。

和菓子について一家言ある人間は、必ずどちらかの陣営に与するそれである。私は、両派閥が口からあんこを飛ばしながら張り合うのをずっと冷めた目で眺めていた。

つぶあんこしあん論争である。

 

「絶対こしあん。つぶつぶは許せない」

「つぶあん一択。こしあんはあんこに非ず」

おおよそ二者択一の場合、他方を極端に否定する極右か極左にわかれがちなのだが、私はあくまで中道左派(こしあん寄りだが、つぶあんの人権も大事だと考える)を歩んでいたつもりだった。

のだが。

先日、例の和菓子屋さんに遊びにいくと、拳ほどの大きさの、それはそれは立派な上用饅頭が差し出された。余ったからよかったら食べてー。そんな幸運にあずかっていいのでしょうか。

それは、やわらかな紅色で、ふわっふわの皮はつややかな和紙のようで、指でなぞるだけで破れてしまいそうに薄いのに均一。お言葉にあまえてひとつ手に取ると、ずしりと重みがあってほとんどがあんこなのだろうとすぐにわかる。両手でそっとつかんで、ぽこっと割ると、中は見るからになめらかなこしあん。中は、というか、手が汚れないように、こしあんのかたまりに薄皮を添えた風情だ。

こんなに上等なおまんじゅうを食べることなぞめったにない私は、すこしずつ、一口大に割りながらたべた。幸せとは、まんじゅうを食べる時間のことである。

おいしいおいしい騒いでいると、旦那さんに言われたわけである。

「うめちゃんこしあんのが好きやんな」

「西はつぶあんだけど、東のほうの人は、こしあん好きのほうが多いみたいやで」

 

その場では、上用饅頭の襲来によって極左(こしあん至上主義)へと振れたため、そうなんですよと首をぶんぶんふってしまった。だから、あんこが手元になく冷静な今こうしてここであんこについての思いをしたためているわけである。

確かにこしあんは好きだけれど、つぶあんでなきゃ嫌なものものある。

たとえば、たいやき、大福、おしるこ。

でも、親指と人差し指でつまめるほどの、こぶりでお上品なお饅頭なぞは、ぜったいにこしあんであってほしい。

 

かねがね思っていたのだ。そのお菓子のカジュアル度と、中身は比例すべきであると。

実際どうかは知らないけれど、私のなかでは、つぶあんは素朴で力強いもの、こしあんは一手間かかったランクの高いものであるのだ。

だから、大衆的でおなかを膨らますお菓子はつぶあんで、お茶を飲みながらゆっくり味わうお菓子はこしあんであってほしい。

だって、いかにも庶民のおやつのたいやきが、丹精込めて裏ごししたこしあんって不釣り合いじゃないかしら。皮と中身のバランスがとれない。屋台の大判焼きとかもつぶあんがいいよな。でも、うすーい皮のおまんじゅうには豆の痕跡がまったく見えない洗練されたあんこが似合う。

 

だから、お菓子のランクによってどっちを好むかは変わるのですって言いたかったのだが、なかなか説明がめんどうくさい。

はてと思って『あんこ好き』Brutus No. 765 | ブルータス (BRUTUS) マガジンワールドをみたり、2014年04月11日(金)「みんなのあんこ論」(わいわいモード) - 荻上チキ・Session-22を聞いたりしているうちに、はたと気づいた。

 

かぶりつくものはつぶあん、手や黒文字で一口ずつたべるのはこしあん!!

 

これならわかりやすい。大衆的か上品かなどの基準を出さずともわかりやすい。うむ我ながらよい分類だ。私は以後、このように主張することにする。

ま、ほんとはどっちだっていいんだけど。

さてみなさまはどうですか。意見をお聞かせください。

 

うめざわ

※今日の味噌メニューは、卵黄の赤味噌漬け(2日目)。まずいはずがないよね。どう考えてもおいしいもんね。おいしかったよ。すばらしかったよ。かんぜんに酒のアテだけどお豆腐とかにもあう。