喜ぶと損する?
喜ぶと損すると思っちゃうことってあるよなあ。
素人のバンド演奏とか、
見るからにチープな服とかね、
明らかに冷凍食品をあたためただけのピラフとか。
そういうものが目の前にあるときに、
たとえ、それがけっこういいものだったとしても、
「んー下手でもないけど、やっぱりなんか足りないよね」
「こんなもんいらん」
とかとか、なんか言いたくなっちゃう。
それは、喜ぶと自分の価値が下がるって思っちゃうからなんだよなあ。
こんなもんで満足するって思われたくないっていうかさ。
ボクは、こんなチンケなもので満足するような人間じゃあない、
ものの価値がわかる人間なんだ、もっと高級なものが似合う人間なんだって
まわりの人に言いたいから、そういう態度をとっちゃうわけで。
でもねえ。
素直に喜んでも、自分の価値はさがらないのよねほんとうは。
偏差値40のもので喜んだら、自分が偏差値40になるかっていうとそうじゃなくて。
逆に、偏差値40のものを蔑んだら、自分が偏差値60だっていうことの証明になるかというと、そうでもなくて。
同時に、偏差値60のものを褒め称えようが、あたりまえとして享受しようが、自分の偏差値が60やそれ以上になるわけでもない。
ハーゲンダッツ愛好家が、ガリガリ君ファンより優れてるとかそういうのはないじゃない
目の前のものを馬鹿にすることで、
自分が相対的に価値が高まるように思えるのは、完全なる錯覚。
たまに思い出さないと。
うめざわ
※目の前の人を貶めることで、自分が相対的に優れていると思いたがるという考え方は、『他人を攻撃せずにはいられない人 』 (片田珠美著)によく書いてあった気がします