やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

「たまたま、縁があったんです」

ここ5年は、発売前からずーっと待ってて、

発売されたら1週間以内には必ず手に入れてる本があるのです。

内容だけでなく、フォントから紙質から手触りから重さから、

なにからなにまで好きなのです。

今年も出ました、糸井重里「小さいことばシリーズ」

 

最新のも、さっそく手に入れて愛でているわけですが、

そうだよなあと首がもげそうになるくらいの言葉があったので紹介しておきます。

 

どうして「気仙沼」だったのかについては、

「出会っちゃったから」というしか説明ができない。

出会ったら、おもしろい人たちだったんで、

仲間に入れてもらったということだけなんです。

「たまたま、縁があったんです」ということだけです。

ほら、ともだちになるのに、いろんな候補のなかから、

選びぬいたりするわけじゃないでしょう。

 (糸井重里『ぼくの好きなコロッケ』より) 

 

「たまたま縁があった」

これを許してくれない風潮がすごく強い気がしています。

 

何か採用するときは、

集められるだけの情報をかき集めて、

徹底的に比較検討し、もっとも合理的だとされるものを選ぶ、

これが推奨されすぎていて、

「なんとなく」「たまたま」だと馬鹿にされかねない。

 

私が実感としてあるのは、仕事選びですが、

家選びとか、配偶者選びだってそうなのかもしれない。

 

でもそれほんとうにいいこと?

って思いが私はどうしたってぬぐえないので、

最後の2行をよんで、ことばにならない声をあげるわけです。

 

「ともだちになるのに、いろんな候補のなかから、

選びぬいたりするわけじゃないでしょう」

 

 

うめざわ