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やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

自分で選ばない

 

「たまたま縁があった」の反対語は、

「自分で選んだ」だ。

 

私的な怨念がこもってしまうかもしれないけれど、

今、自分で選ぶことが重要視されすぎている。よ。

間違いなく。

 

自分の好きなもの、やりたいことを頭でとことん突き詰めて、

それにもっとも合致するところを選ばねばならない。

そう言われすぎている気がする。

 

やりたいことをつめこんで、

分刻みで旅行のスケジュール決めるようなものだ。

やりきったら、満足感はあるんだろう。

自分で決めたメニューだもの。

 

でもさあ、

自分の想定外のことは起きないつもりで予定立てるってどうなのかしら。

寝坊したら?電車が途中でとまったら?

道でばったり運命の人に出会ってしまったら?

それだけじゃない。

その土地の人に、

そんなとこ行くよりここ見た方がいいって薦められることもあるだろうし、

運が良ければ案内してもらえるかもしれないし。

そういうのを排除しちゃって、がちがちの予定立てるのがいいとは思わんよ。

 

なんていうかさ、

私が言いたいのはさ、

自分が選んだものが一番いいと思うなんて、傲慢すぎるじゃないか!!!!!!!

ってことなんだ。

 

自分では想像もできなかった、

なにかすばらしいものがたまたまもたらされる可能性がある。

その、「ご縁」としかいいようのないものに、ありがとうって頭を垂れる、

その姿勢が謙虚で、私は素敵だと思うのだ。

 

べつにたいそうなことじゃなくてさ、

自分は肌の色や好みなど総合的に考慮した結果、

真っ白のシャツが一番似合うのだ、それ以外は着ないのだ、

って決めるのもいいけど、

もし青のシャツをもらってしまったら、

一度くらい着てみたらどーお?って、それだけ。

もしかしたら、今後青のシャツ着続けることになるかもしれないよって。

でもべつに、それは自分のこだわりを曲げた、とかそういうネガティブなことじゃなくて、たまたま、自分で思い描いていたものより素敵なものに出会ったってそれだけのことなんだ。

 

うめざわ 

※女3つでかしましいなら、男3つでばかばかしいと読ませたい今日このごろ(公園でたっぷり20分はう◯ことうれしそうに連呼する中学生男子をながめながら)