誰かのため、が大人のしるし
ほんとに私は傲慢だった。しばらく落ち込んだ。
(前略)
しかし、僕は自分の稼いだ鐘で何を楽しもうが自分の勝手である、子どものままで何が悪いのか?と返信してきた多くの者たちに問いたいのだ。
あなたが大人ならずして、だれが子どもを守り育てるのか、と。
(「暮らしの手帖80」2016/2-3 小池一夫「子どもおとな」より)
したいことをして何が悪い?という態度は、
自分以外の存在のことをぜんぜん考えてないから出てくるんだ。
それに気づかなかった自分はばかだったと思った。
望もうが望むまいが、私は社会のなかで生きていて、
そのなかではいやでもしないといけないことがある。
わかりやすいのは、税金だね。
自分のために使われるわけでないのに、お金を払う。
いやでも、しないといけないんだ。
したくないからしないだと誰かが困るんだ。
おれは困らないからしない、じゃだめなんだ。
で、それができることが、大人なんだ。
誰かのために自分を使えるのが大人なんだ。
自分のお金でも時間でも体力でも、 自分以外のもののために使うこと。
それが、大人であることなんだと思ったわけです。
イキイキわくわく少年のように働く!なんてしなくていいよ。
いろんな重圧に耐えて、それでも誰かのために働いてるなら、
死んだ魚の目してたって尊いはずなんだ。
(そもそも働くことは、誰かのためになることだと思うしね)
やりたいことをすることだけが最高のあり方じゃない。
やらねばならないことをいやいやと、
でも粛々とおこなうことは、ただ尊い。
うめざわ
※ 結婚するって決めた男の人がかっこよく見えるのはきっとこのせい