村一番の美人なら、
何かの本でこういうのを読んだ。
「テレビが出現する前は、美人といえば村一番の美人のことだった。彼女をものにしようと男たちは息巻いた。彼女には大きな価値があった。
けれど、テレビが現れてからというもの、人々は国で一番の美人たちを目のあたりにすることになった。男たちは、今まで執心していた村一番の美人には手のひらを返し、この程度の女しか村にはいないのかと落胆するようになった。」
今みんなが何者かになろうとして必死なのは、「村一番」じゃだめだと思ってるからじゃないかね。
その地域で一番「ピザ作るのがうまい」「大工仕事がうまい」「数学教えるのがうまい」「コーヒーいれるのがうまい」から、お金もらって商売にしようかってことができれば、ずいぶん生きやすい気がするのだけど。一番じゃなくても、「それ大好き!」でやっててもいいと思うのだけど。
でも今はそんなこと言ったら鼻で笑われて、「日本でここでしかないもの」「世界で僕しかできないもの」を「差別化」してアピールしていかないと、ビジネスになんかならないよ甘いね、って言われちゃうんだ。「そんなのどこにでもあるよね」って。
でもさあ。
ほんと今思うんだ。
歩ける範囲の生活圏で、得意なことを得意な人がささやかに商売してたらありがたいよ。
それが日曜大工のレベルでもいいじゃない。料理の得意なお母さんのお菓子とかでいいじゃない。ふだんの生活なら「世界一の品質を!」とか必要ないじゃない。最高のものじゃなくていいじゃない。
村一番の美人とすれ違って、どきどきしちゃう世界にも住んでいたい。
・ぼくが幼いころの話だから、
まだ、戦後の匂いのぷんぷんしている時代のことだ。
ある日から、近所に、コロッケ屋ができた。
ふつうの民家の、玄関が店の入口になって、
どういう構造になっていたのか、
コロッケを揚げているおばさんがいた。
たしか、コロッケはひとつ5円だった。
コロッケ屋さんができたということで、
おいしいと思えば近所の人たちは買いに行く。
ゆでたじゃがいもをつぶして、
ブリキの枠で小判のかたちにまとめて、
メリケン粉を溶いたものにくぐらせ、パン粉をつける。
それをラードで揚げるだけで、
5円、5円、5円、5円が生まれていく商いだ。
自宅の一画を店にしているから家賃はかからない。
材料を仕入れたり、手間をかけたりするのに
それほど多くの経費はかからない。
たくさん儲かるとは言えないけれど、
かなりしっかりと日銭の入るビジネスだったのだろう。
そういえば、天ぷら屋もある日登場した。
いろんな野菜やイカやアジというあたりのタネで、
惣菜としての天ぷらをあげて、
これもたぶん5円とか10円とかだったろう。
大きな壺を探してきて、
焼きいも屋をはじめる人もいた。
この人は、たしか、大工さんもやっていたと思う。
まだ思い出すなぁ、煮豆や佃煮をつくって売る
佃煮屋さんも、ぼくの知っているときに開店したっけ。
働くというと会社に勤めることを思うのが現代だけど、
あの時代は、近所にお客さんのいそうなことを、
「やってみようか」とはじめることが
たくさんあったんだなぁと思う。
駄菓子屋、たばこ屋、魚屋、自転車屋‥‥みんな、
「なにか稼ぐこと」としてはじめたものだった。
思い出したすべての店が、もう、とっくにない。
いまから、ああいうこと、やってみたらどうなんだろう。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いまの時代の、一家を養える程度の商いってなんだろうな。
(ほぼ日「今日のダーリン」2016/04/20)
うめざわ
※ アイスめっちゃ食べてる。ここ一週間で去年一年間食べた分を超えた気がする。(ふだんアイス食べない)爽のメロンクリームソーダがおいしすぎて。