プラス思考は楽じゃない
プラス思考っていうけどさ、それさえ覚えておけば人生ハッピー!なんて、あまっちょろいものじゃないなと思う昨今。
たとえば、ものすごく大切な人・もの・場所を突然奪われたとして、
自分を慰めるために「あの悲しいことがあってよかった」って簡単にひっくり返すのはちょっと違う気がしたんだよな。
ほんものの、っていうと語弊があるけど、表面的でない心からのプラス思考っていうのは、もっと哀しいものなんだと思った。
その人やものがなくなったことを、「それでよかったね」って抱きしめることなのかもしれない。
たとえば、自分の親が通り魔に刺されるとか、ほんとうに理不尽なことが起こっても、
親の無念さを想像し続けるのではなくて、「もしかしたら、刺されたことで彼・彼女は楽になったのかもしれない」って思うことで何かが生まれるのかもしれない。「どこかで自分を見守り続けているかもしれない」って思うことで、生前よりも身近に感じるかもしれない。
悲しむことだけが喪に服すことじゃない。
それでよかったね、よくやったね、って抱きしめることが、供養なのかもしれない。
で、その供養は自分のためになることなんだろうな。
うめざわ
※シンガポールからの留学生が7年間の日本滞在を終えて、帰国する前夜。彼は、中島みゆき「糸」を歌ってくれた。こういうときは歌が最高のおみやげだなあ。歌ってくれてありがとう、って初めて思った。