仮説:つまらないはず
なんでもおもしろがれる人っていて、そういう人は健やかで清々しくて憧れる。さわやかな言い方をすればどんな状況でも楽しそうにしてる人、卑近な言い方すればなんでもネタにできる人。
そうなれたらいいなあと思いつつ、いや私は好き嫌い激しいし、そんな才能ないし、と諦めていたのだけど、もしかしたら向こう岸に渡る橋を見つけたかもしれない。
なにかで読んだんだ。(なぜだか出典を完全に忘れてしまったのだけど)
興味がないっていうのは、「これはつまらないだろう」という仮説を立てている状態だ、って。
これにぐぐぐぐっと引きつけられたわけです。そのとおりなんです。だって、「それ興味があります!」って、知らないことに対しても言うでしょう。「それについてはよく知らないけれど、おもしろそうだ」と思っている状態が「興味がある」ことなんだわ。
つまりだな、興味をもつ・もたないについては、対象のそれについて良く知ってるとか知らないとかは関係なくって、たんに自分がどっちの仮説を立てるかっていう問題のようなのだ。びっくり。自分で選べるらしい。同じ仮説なら、「おもしろいかも」って考えてもいいわけだ。
もちろん、興味のある・なしは、好き嫌いのようなもので、一瞬で生理的に決まるものではあるよ。あるけれど、その状態を考え方ひとつで、ぐりんと反転させることができるらしい。自分ではどうしようもない感情的な反応を、もしかしたら操れるかもしれない、と思ったらとても愉快。
うめざわ
※最近、電車のなかで毎日違うものに注目しようとしてる。そうすると退屈しない。昨日は信号の数、今日は建物の壁の色、明日はなににしようかな。