モテか奇抜か地味の3択
ジェーン・スーさんと野宮真貴さんのトークイベント「口紅美人と甲冑女」に行った。タイトルだけで最高なのはおわかりいただけると思うけれど、ひとつ殴られたような発言があったのよ。
スー:野宮さん、モテ服とか着てた時期あるんですか?
野宮:うーん、音楽業界にはそういう保守的な人いなかったから…
なんの気なしに、「そういう保守的な人はいなかったから」と、するするっと語っているのを聞いて、頭ガーンですよ。ああ本当にショックをうけると頭にがーんて音が鳴るんだなと実感したわけです。びっくり、ほんとに。この発言の直後の話は覚えてない。
考えてみればそのとおりなんだ。アヴァンギャルドなモテってのはありえなくって、どうしたってモテ服は、巻き髪・パステル・ツインニットだ。(知ってる、古い。だがしかし私のなかのスタンダードはエビちゃんOL以来更新されていないのだ)(ほら、これ10年前くらいの流行だけど、更新されなくてもまだまだ十分モテ度保ってるでしょう、その変わらなさが「モテは保守」を裏付けているような)(よし言い訳完了)
女はオシャレすべし。
オシャレをすることはモテを目指すことと同義である。
よって女はモテを目指すべし。
たぶんこんな三段論法が刷り込まれていたんだと思う。最近の「モテ」っていうのは、「不特定多数の男性に気に入られること」とはずいぶん離れて、オシャレっぽい雰囲気を指している気がしていた。
だってほら、いつぞやに炎上したルミネのCMの例を出すまでもなく、あらゆる女が目指すべきとされている北極星みたいなものが「モテ」だと思ってたんだな、意識してなかったけど。
オシャレとモテがくっつきすぎてて、もちろんモテから離れようとするオシャレもあったはずなのに、それはことさらにモテではないですアピールをして攻撃的になったり意味不明になったりして、かといってモテを単純にオフにすると地味になって、オシャレ界の頂点の「モテ」と、反体制派の「奇抜」とその他大勢「地味」っていう3種類しかないと思ってたのに、そこにきて「モテは保守」。
モテっていうのも単なる一勢力にすぎなかったらしい。ああ、ほんとうにびっくりした。
うめざわ
※ただ、ああつらいなあと思ったやりとりもあって。以下うろ覚え再現。
スー:気分はもうザッカーバーグですよ、ノームコアでしたっけ、似たような服ばっか着てます。
野宮:でもいつもブローチつけてるよね?
スー:これはもう「NO WAR」の旗印なんです。オシャレに対してNO WAR!
野宮:でも、そのブローチ、会う人のこと考えて選んでるわけでしょう? その気持ちがもうオシャレだよね。
スー:いやいやいやいや、だって野宮さんそれどこで買ったんですか?
野宮:パリ。
スー:ほらー。私に「それどこで買ったの?」って聞いてください。野宮:スーさんそれどこで買ったの?
スー:ユニクロ。ね!?
非オシャレ宣言してる人をむりにオシャレ台にのせないでくれ〜〜オシャレからおりさせて〜〜って痛切に思いました。
※でもでもジェーン・スーさんは、ラジオで聞くとおりの溌剌さとたくましさと、オリジナルな語彙力があふれてでてたし、野宮真貴さんはなんか芸術品みたいな美しさでした。文化財指定されてるような洋館にある、めっちゃ彫りが細かくて磨き上げられたアンティークの木の机みたいなイメージ(どんなだ)