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やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

遠くが見えるようになりました

何年かに一度、物理的に遠くが見えるようになることがある。今年もさらに遠くが見えるようになった。

そうなのよ、ふっと遠くが見えるようになるのだ。ふつうに歩いていて、2つ先の信号が見えて驚く。信号が見えるう。いままで私は地面の白線しか見てなかったんわ、って気づくのだ。前回見えるようになったのは、3年前。そのときの開放感たるや。
なんで遠くの信号が見えるようになったかって、たぶん猫背がわずかに改善して、目線の角度が数度あがったから。たぶんね。そうなんだけど、私はにとっては姿勢がよくなりました、っていう以上の意味がある。
物理的に、見えるものが多くなるんだもの。見える世界が、文字どおり広くなるんだ。一気に目の前が開ける。ミュージカルだったらいきなり跳びはねて踊りだす場面よ。

3年くらいまえ世界が開けたから、その大きな世界に生きていたら、今年の夏のある日「あ、遠くの山が見える」っていうことに気づいたのです。駅までのいつもの道を歩いてたら、とつぜん山が視界に入ってきたのです。
いっとき習っていた武道の先生がいつも「遠くの山を見なさい」って言っていて、「いやいやいやいや大阪は都会よ? 山なんかないよ?」って反発してたんだけど、あったよ、山。あるんだよ。

2つ先の信号が見えるようになったり、遠くの山が見えるようになったりしたことに、深遠な意味(遠くが見えるようになったのは姿勢がよくなったからで、ひいては、人生に対峙する姿勢を正し、自分がゆくべき人生の道のりが見えるようになった証拠なのだ、とか)を見出してもいいのかもしれないけど、もっと単純に開放感があって愉快だ。遠くを見て歩くの。つぎ外出たら試してみて。いつもどおり歩きながら、目線を2センチくらいあげて、いちばん遠くに見えるものを探す。とてもいい気分になります。きっとこの1年、わりによかったんじゃない? て思えるよ!

 

うめざわ

※その武道の先生は、「いちばん遠くの音を聞きなさい」ともよく言っていたのだけど、これもいい。今日やると除夜の鐘とか聞こえるかもね