やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

ゆるやかに生まれて、ゆるやかに死んでいく

0歳から12歳までの私の写真をはじめて見たんです。レポート用紙に貼って、それを紙の2穴ファイルに綴じたアルバムが3つ。そこに私の写真はたくさんあった。

大人用の枕をベッド代わりにして、まんまるの目を見開いた私とか、押入れにもぐってる私とか、そのときの私がいっぱい写真になってたんだけどさ。
覚えてるわけないじゃない。5歳くらいになってくると、ここ連れてってもらったかもしれない、この服着てたかもしれないってうっすら思い出せるんだけど、それでもあやふやで。

それ見て思ったんです。私は、私になるまえから生きてて、たぶん私じゃなくなったあとも生きてるんだと。
いわゆる「物心つくまえ」は、私として意識できないんだから、私じゃないと思うわけ。だから、昔の写真見せられて、これなんとかちゃんだよって言われても、えええそうなのー?って言うしかないんだ。たぶん、ぼけちゃうのはその逆をたどることなんじゃないかな。いろんなことを忘れて、私が私だったことも忘れて、私じゃなくなってくる。

人の肉体は、ある日この世に出てきて、ある日止まるんだけど、人そのものは、ゆるやかに生まれて、ゆるやかに死んでいくのかもなと。私が私でいる期間は意外とすくないのかもしれない。そんなことを考えたお正月でありました。

 

うめざわ

※その紙のファイルは祖父がまとめたものでした。その「なんとかちゃんの記録」は、確認できただけでも孫娘5人分、ひとり3冊以上ありました。写真だけでなく、カレンダーの裏とかに描いたでたらめな絵(というか線がたくさん描いてある紙)も日付入りで綴じられていました。