料理の魔術性
たとえば、料理上手なおばちゃんが2種類のカレーを作ってくれたとしてね。ひとつは、iPhoneでクックパッド見ながら作ったもの。もうひとつは、レシピはなにも見ないでてきとうに作ったもの。
目の前にお皿がふたつ。さあどうぞって出されたときに、どっち選びます? 私はレシピ見ないで作ったほうを選ぶと思う。そっちのほうが価値ある気がしません?
なんだろう。料理うまい人は、レシピとか見ないでおいしいもんが作れる信仰みたいなものがある。あらゆる分野において、道具とか外部のものに頼っているうちはアマ、すべて体感でわかるのがプロ、みたいな決めつけももってるかな。たとえばパン屋さんとかが「気温とか湿度によって、水の量変えてますね。え?あ、いや測ったりとかしないです、感覚で」って言ってたらかっこいいじゃないですか。やっぱりプロだなあって思うじゃないですか。
うーん、私たちは魔法を見たいのかな。過程はぜんぜんわからないけれど、なんかすごいもんが出てくるとゾクゾクする。自分には想像もできないし、ましてや再現なんてできないようなプロセスを経て生みだされたものは、神秘性を帯びる。そういうことなんだろうか。
あー、そうかも。最初に書いたおばちゃんが、iPhoneじゃなくてボロッボロの古文書を眺めてカレー鍋をぐるぐるまぜてたらそっち選ぶわ。
うめざわ
※天才が奇人であってほしいのもおんなじことだなー