やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

「被虐」

被虐っていい言葉だと思った。(いや、よくないんだけどさ)

毒親」「毒母」って言葉が一般的になってきて、つらさの原因を自分じゃなくて、養育者においてみるという考え方が広まったので。

つぎは、そうして育った自分を定義する言葉が必要だと思うわけ。で、それは昔だと「アダルトチルドレン」だったのかもしれないけれど、これだと「子どもっぽい大人」≒「わがままな大人」と誤解されて、勝手に傷つけられたり傷ついたりすることも多いし、大人の自称として「チルドレン」は使いづらいしね。かといって、「サバイバー」とまで言うと、どうしてサバイバーになったのかが隠されちゃうし。自称するには勇気づけられるからいいんだけど、人に説明するには使えないよね。

その点「被虐」はとてもよいと思う。「虐」という言葉がかなりつらいけれど、それを言えるようにならないと、たぶんどこへも行けないから。


高橋和巳『消えたい』(ちくま書房)

 

うめざわ
※なんかこの記事で、自分のことを匂わせてるような感じするけど、それが目的じゃない。たんに他人に向けて自称できないだけです。客観的に話すことしかできないだけです。

以下引用

例えば、あなたが友人から「この間、親子でひどい言い合いになって、娘は怒って自分の部屋に入って出てこなかった」と聞かされたとする。その時に想像する現場の状況は、およそ九〇パーセントの家庭では当たっているだろう。例えば、けんかの後、母親はぶつぶつと不満を言いながら、居間でテレビをつけて、いつしかそれに引きこまれていく。娘はベッドにバタンと横になり、クッキーをもぐもぐ食べながらケータイをいじり出して、母親のことは忘れてしまう……などである。しかし、数パーセントの家庭では、まったく想像を絶することがその時に起こっている。九〇パーセント以上の普通の家庭と、数パーセントの普通でない家庭との間には、深い溝が横たわる。

 高橋和巳『消えたい』ちくま文庫(p.119-118)