やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

逃げてるだけの修行LOVER

断食とか座禅とか荒行とかって聞くとうれしくなるタイプっているじゃないですか。修行好きっていうんですかね、わざわざ遠くの寺とかに出かけてわざわざ断食して帰ってくるとか、1週間黙ったままの瞑想合宿みたいなのに行きたくてうずうずしちゃうとか。まあ私なんですが。

修行!ストイック!痛い!けど気持ちいい!みたいなマゾヒスティックな喜びと、私はこれで生まれ変わるのだわっはっはっていう誇大妄想的な期待があるから、私の場合は修行が気になって仕方なかったのだ。

けどね、けどね、気づいてしまったの。私が心奪われてるような非日常系の修行って、ただの現実逃避だということに!

いやあさあ、修行に恋い焦がれる理由ってね、
・修行はきつい。
・きついことをすれば私は変わる。
・修行をすれば私は変わる!
っていう三段論法で説明できると思うんだけど、最近わかったのはこれ。

「普段の言動をちょっと変えるほうが、出かける修行よりもよっぽどきつい」

たとえば、断食合宿に3日行くより、3日間自分のうちで節制するほうがきつい。うん、もし変わりたくってきついことするんならば、日常生活で自分を律するほうがよっぽどきつくて効果的でしょ。でも、普段は難しくってできないから、遠くにでかけてわざわざ修行するんでしょう。てことはつまり、出かけてする修行はイージーモードの修行だよねえ。

イージーモードだろうがなんだろうが修行したいんならお好きにどうぞだけれども、負荷は限りなく軽いものだと思っておかないと。そっちのほうが真の修行で、力がつく、なんてゆめゆめ思わないことね。

結局のところ、本番は生活だ。今の環境でじたばたするほうがよっぽど自分のためになる。いつも叱ってくる人に対してちょっと歯向かってみるとか、理不尽な規則に抵抗して変えようとしてみるとか、満員電車で気持ちよく過ごせるようにするとか。ほら、こっちのほうがきつそうだー。よっぽど修行じゃーん。なーんだー。さあ修行するぞ修行するぞ修行するぞ!

うめざわ

※「包みみたらし」にいたく感動してたけど、千鳥屋に「みたらし小餅」っていう商品が昔からあってだな