ありえたかもしれない自分はいつだって最高だから
ことあるごとに勧めまくってるAV監督二村ヒトシ大先生のご著書『恋とセックスで幸せになる秘密』(イースト・プレス)より引用。
「こうありたい自分」「ありえたかもしれない自分」
そういうものに、きちんと見切りをつけていかないとつらい。
いま、ぶさいくながら生きてるのが自分で、それ以上でもそれ以下でもない。
将来、素敵になってるはずの自分は、理想。ただの理想。
理想の反対語が現実だと、国語のテストで覚えたのは遥か昔。
とりあえず、今、自分はそうなっているのだから、
それを受け入れるしかない。それしかない。
この先どうなるかわからなくても、
ありえたかもしれない自分からどんどん遠ざかっても、
それがだけが現実だから。
泣いたって叫んだって嘆いたって喚いたって、
現実は変わらないのだから、粛々と受け入れるしかない。
どういう考えをとるかは好み次第だけど、
私は、自分の身に降りかかることは、すべて最善だと、
そう思い込むことにしているよ。
なにがあっても、とりあえずそう思い込む。
そうやって思考を停止させる。
たぶん、私の性能のよくない脳みそで想像しうることよりも、
私を生かしているなにか大いなるもの、
人はそれを神と呼ぶのかもしれないけれど、
それの采配が最高のものなんだって、とりあえず思い込む。
そうするとねえ、しんどいのは変わらなくても、
しんどさに大きなプラスの意味が付与されるから、ちょっとマシになる。
うめざわ