やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

幸せは舐めるものか噛むものか

むかし、言われたことがある。

「サトウキビの収穫作業を手伝わせてごめんね」

 

私の口から流れ出る負の感情をすべて受け取って、それをプラスのものに結晶化させようとしてくれた生真面目すぎる彼女は、

私になんの負担も負わせずに、楽になってもらいたいと思ってくれたのでしょう。

だから、私の感情をうまく処理できなくて、彼女が自分を責めたときにこう言った。

「砂糖だけ舐めさせられたらいいんだけど」

私は、それは違う、と言った。

 

最近とても思うのだ。

幸せっていうのは、

と、大仰な言い方をするけど、

幸せっていうのは、一般的なイメージだと、砂糖壺のグラニュー糖なんだろう。

真っ白で、サラサラで、とても甘い。

 

でもさあ、 たぶんそんなのは幻想なんじゃないか?と最近思うわけ。

ただ、目の前の砂糖を舐めることだけって、本当に幸せなのかい?って思うのだ。

白砂糖は精製されすぎている。

 

現実にあるのは、もっともっと不純物も混じった喜びだと思うのよね。

つらさとかさ、悲しさとかさ、プレッシャーとか、自己嫌悪とか、不安とか、切なさとかなんかそういう余計なものも混じったものが、天然の幸せなんじゃないかと思うのね。で、その不純物って、確かに不純物なんだけど、おしるこにひとつまみの塩いれると余計甘く感じるように、あったほうがいいものでもあるのかもなとも思ってるのだ。

 

真っ白のお砂糖は、とても純度が高くて理想的に見える。でもたぶんそれは、ひどく不自然なものなんだ。白いお砂糖の袋が家にあったら見てみるといい。賞味期限書いてないから。精製されすぎた白砂糖は、いつまでたっても腐らない。

 

たぶん、普通の人間がさ、がんばって手に入れられるのは、サトウキビの汁でさ。

沖縄でかじらせてもらったわ。畑に行ってさ、刈り取って、がじゅって噛むと出てくる、すじばった甘い汁。

甘いのを手にするまでに、ひどく手間がかかるし、ものすんごく甘いわけでもないし、あれこれだけ?っていう量だし、保存するにはきっとちゃんと精製しないといけないし、噛んだあとのシナシナのサトウキビどうしたらいいんだってのもあるけど、でもでも、満足感はすごくあった。とても自然な喜びに接した気がした。

 

幸せってさあ、わたあめみたいなもんだと思ってたんだけどね。

ふわふわ真っ白軽くて甘い。

でも、たぶん、そうじゃない、ずっしり重たくてちょっとエグみがあって、っていうそういうの種類のもんもあるんだなあって、最近とても思う。

そういうのは、大変だめんどくさいって思うこともあるけど、すぐ消えちゃうわたあめじゃなくて、両手にサトウキビを抱えて、重さと嬉しさで途方にくれるっていうのも、ありなのかもしれないと最近ちょっと思う。

 

うめざわ

※諸事情で、母親になった気分を味わい中。世のお母さんすごいわまじで。