過去から来た宛先不明の親切
ありがとうって言われるだけが親切じゃあないわ。
知らない人が過去から送ってくれた、宛先不明の親切を受け取って、とてもうれしくなったのよ。
とある座談会の文字起こしをしていて。
私はそこの座談会のメンバーのことなど1ミリも知らない。
声だけを聞いて、ひたすらそれを文字に打ち込んでいたのだ。
で、出てきたの。司会者のことば。
「あのーこの場では発言なさる際にはですね、あの名前を、ひとこと、おっしゃっていただけると、あの、あとからテープ聞いたときに、えっとこの座談会は録音してるんですが、どなたの発言かわからなくなっちゃうので、名前をお願いします」
(文字で読むとかなり読みにくいけど、実際しゃべっているのを文字にするとこんなもんなのよ)
すっごい嬉しかったの。すっごいびっくりしたし。
だってね、この親切が一番身に沁みて感じるのは私なのよ。
「発言するまえに名前を言う」というルールは、もちろん座談会にいるメンバーのためにあるものじゃないわけ。メンバーはすでに顔馴染みだから。
てことは誰のためにあるかというと、これは、あとからそれを聞いて、文字起こしをしたり記事にしたりする人のためのものなわけ。
でね、さらに、その司会者は私が文字起こしするなんてことはまったく想定してないわけ。そのルールは、誰かわからないけれど、あとでこの音源を聴く人に対して気配り。
かつ、それは過去に録音されたもので、その気配りは、私が音源を聞いた今、受け取られるものなのだ。
この音源を、未来に聞く誰かがいて、初めて効力を発揮する気配り。
素敵だなあと思うのだ。
未来の誰かがきっと受け取る親切。
そんな大層なことは考えてないとは思うんだけど。
そういうちょっとした親切を、ふいに、しかも過去から、
さらにいうと見知らぬ人から受け取ると、むわっとうれしくなる。
なにかの映画で、お花屋さんが、夜、売れ残った花をブーケにして、適当な家の玄関先に置いて歩くシーンがあったのだけど、そういう感じ。
人が喜ぶ顔を見ることができなくても、自分が感謝されなくても、誰かを喜ばせることをする。
いいなあと思うわけです。
うめざわ
※ピタゴラスイッチとかの佐藤雅彦さんがどこかで書いてたイタズラ。
事務所の冷蔵庫にICレコーダーを入れておく。それを見つけていぶかしんだ人が再生ボタンを押すと、「あーさむかった!」って声が聞こえる。こういうのよこういうの。