突き詰めたら死んでくれてありがとうになるわけで
ニュースを確認する必要について考えている。
とくに、事件事故。
通り魔が出た、飛行機が行方不明、船が沈没した、とかさ、
確かに社会的に大きなインパクトがあるわけなのだけれど、
一般人はそれを知ってどうこうできるわけじゃないじゃない。
報道を見て普通の人が思うのは、企業の体質改善が望まれる、いや職員の倫理観の崩壊が云々、そもそも国家の教育体制が云々じゃあなくてさあ、
あそこにいなくてよかったね、なわけよ基本的に。
あの人たち運が悪かったねあんなこともあるんだねよかったね私たちじゃなくて。
ニュースによって他人の不幸を知って、自分の幸せを確認するわけ。
電車で座ったおばさまたちがしゃべってたよ。
「ああやって若いのに可哀想に死ぬ人もいるんやからなあ、生きてることに感謝せなあかんなあ」
それどうなん、それどうなん。
生きてる人の幸せを増幅させるための悲劇の犠牲者なのかい?
それでいいのかい?
そうじゃない、って言いたいけど、どうしてもはっきりは言えない。
うめざわ
※でもでも飛行機の行方は気になる