やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

舞台の感想・不満編

ある舞台を見た。小説が原作で、それを「独自の解釈」で舞台化。設定を大きく変えたところは、暴力的なまでに涙を誘発する仕掛けになっていて、そりゃもう感動的でずいぶん涙したんだけども、違和感が拭い去れない。設定の変更が嫌なんじゃない。意図的なのか否かわからないけど、原作の芯が抜かれていたことにショックなんだ。
つまり、「消す」と「消える」は違うよねえ、ということ。原作は、すごく静かな話。いろんなものが一つずつ「消えて」ゆく島でのできごとを淡々と書いているのだけども、ものは「消える」のね。なにが消えたのか、その瞬間は誰にもわからなくて、あとからあああれが消えたんだねって気づく。それは、通り道に突然空き地が出現して、ここ何があったっけ?って首をかしげる感覚。たぶんそれに似てると思う。で、そのまんま思い出せず空き地に慣れていくか、もしくは運良く一瞬だけ思い出して、安心して、やっぱり空き地に慣れてゆく。
それに対して、舞台はすごく賑やか。原作の静謐さみたいなものだと舞台がつまらなくなるからっていう理由もあるんだろうけれど、シリアスなものが半分くらいコミカルに描かれていて、そのぶっ飛ばし方は見事ではあった。が、それ以上に「消える」が「消す」に変わってしまったのが気になった。原作でも舞台でも、冒頭に鳥が消える(そう、鳥という鳥がすべていなくなり、それにまつわる人々の記憶もぜんぶ消える)のだけど、舞台では鳥を燃やすという演出をしたのよね。秘密警察が鳥を燃やし、人々がそれにおののくっていうシーンがあったんだけど、それは違うだろうと思ったのだ。どこかに悪の親玉がいて、人々の手から一つずつ何かを奪い取っていくっていうそういう話じゃないと思うんだ。なんでかわからないけれど、ものやそれにまつわる記憶がどんどん消えてゆく。雪が降って、あたりを真っ白に埋めてしまうように。抗えない大きな力に飲まれながらどうやって生きるかそれを描いた小説だったと思うのだけどなー。そこを人間同士の善と悪の対立にすりかえて、しかも最後力技で泣かせにかかってきたなあと思ってしまって納得いかなかった。ということです。

 

うめざわ

※賛美の言葉を紡ぐより、批判を練り上げるほうが楽ちんなのだよな。

小川洋子『密やかな結晶』 (講談社文庫)

舞台:密やかな結晶