やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

悲しむ体力

悲しみって勝手に押し寄せてくるものだけど、それを真剣に受け止めるのにはめちゃくちゃな体力がいる。それこそ胸が張り裂けそうな、身体が潰されそうな、そんな悲しみとがっぷり四つを組んで悲しむこと、これはすべての人ができるわけじゃない。
誰かを亡くし、身体を病んで、事故に遭って騙されて、とか、怒りとか悲しみとかやりきれなさとか負の感情あるでしょう。それに襲われて帰ってきたとき、深みが増してる人と、ケロケロっと軽いまんまの人の2種類いる。
これは、悲しみの襲ってきた量の差じゃなくて、その人が感じた量の差から生まれるものなんじゃないかと思うんだよねー。なんていうの、マグニチュードと震度の違いかしら。悲しみのマグニチュードが同じだったとしても、個々人が感知する震度は違うはず。
で、震度7の悲しみをモロに受けた人と、震度4くらいで収まった人と、同じ地震でもその後の人間的成長度合いが違うんだよね、と言いたかったんだけど、だんだんわかんなくなってきたからここで終わり。

 

うめざわ
※うーん、「悲しみのマグニチュード」あたりの言葉が出てきたときは俺天才って思ったんだけどな。ぜんぜんまとめられんかったな。冒頭の「悲しみの体力」にも触れないまま終わってしまった。あかんやん。あーあ。えっと、言いたかったのは、同じ悲惨な経験をしていたとしても、それを血肉に変えた人と、ないことにしてしまった人がいるってことなんだ。

※タイムリーなことに、「地震のときは竹林に逃げろ」という生活の知恵を手に入れた。竹はまず倒れないし、途中から折れることがないし、倒れるにしてもゆっくりだから、安全なのだと。