やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

今日はばったり

中村うさぎ『他者という病』に出くわす。ああ出てたんだ、新しいの。この人、修行僧だよ。やってることは整形・ホスト・買い物依存などなど欲の肥溜めにダイブしてる感じなんだけど、そこでどんどん魂が削ぎ落とされて芯まで磨かれてる気がする。こんどの話は、死からの生還。どこまでいくの、うさぎさん。

 

 ところが、皮肉なことに、私は死ねなかった。一度の心肺停止と二度の呼吸停止という死の瀬戸際まで行きながら、ものの見事に死に損なってしまったのだ。私がどんなに死んでしまいたくても、意地悪な神は私の襟首を掴んで引き戻した。私の耳元で「生きろ」と囁き、「たとえ生きる意味のない人生でも生き続けろ」というこのうえなく残酷な命令を下したのである。どんだけ悪意に満ちた神だ。
 (中略)
 いまだに夫の介護なしではどこにも行けない車椅子生活の私が、その無力感や虚無感と戦いつつ、どこまで歯を食いしばって「自分が死に損なってしまった理由」を見つけるか、例の底意地悪い神にとくとご覧いただこうじゃないか。今のところ、それだけが私の「生きる根拠」となっているのである。
 要するに「意地」だね。この意味不明の無駄な意地への突っ張りがなきゃ、とっくにドアノブで首吊ってるわよ(足が立たないので天井から首吊るのは不可能なのです、あはは)。

中村うさぎ『他者という病』「第一章 あのまま死んでいればよかった」

 

うめざわ

※この人のことをうまく言葉で描けたら、私はもう言うことがない