しゃべられへんねん
あんな、ワシな、たまにな、ここでな、関西弁しゃべんねん。ええやろ。しゃべりたいんや。もうな、8年もな、大阪おるのにな、人前ではなまともに関西弁しゃべれへんってどないなっとんねんっちゅー話やねんけどな。
うまく口から関西弁出せへんからな、こうやってタイピングして出すんや。
そうそう、さいきんは「出せへん」だけやのうで、「出されへん」っちゅう言い方も覚えたんやで。ほらいくで、だされへん。リピートアフターミー? おーおー、べりーぐっどや。
イントネーション、あ、ここ大事やで、いんとねーーーしょんや。ねーーが高いんや。たいらに発音したらあかんで。そのいんとねーーしょんは、西のんに染まったで、そら。マクドとかミスドとか。せやけどな、もっとこう、がつんと関西弁しゃべったろって思うとな、どうしてもワシんなかの江戸っ子女子高生がのたまうねん。「うわ、なまってるだっさー」
ひどいやろ、傷つくやろ。そんなん聞いたらもうおっちゃん、しゃべられへんで。なあ。せやからこうやって、覚えた関西弁をな、よなよなひとりで冷たい冷たいMacBookAirにうちこんでるんや。悲しい話やろ。ああ手えつめたい。
うめざわ
雑なことばに気をつけろ
自分の口から出た雑な言葉に、自分のやわらかい感情が食われる。
雑な言葉を警戒している。雑なっていうのは、命令形の言葉だったり野卑な言葉じゃなくて、汎用性の高い言葉。「それな」「最高」「やばい」など。
これはねえ、いつだって使える。何も考えずに使える。めちゃくちゃ便利。私もよく使う。でも、だ。
それな、って言った瞬間、ほかの薄ぼんやりした気持ちは消えるんだ。
「あれ、なんかそれ違うんじゃ……」っていううっすら立ったホコリは吹き飛ぶ。風のまえのチリに同じ。
自分の言葉によって、自分の気持ちが書き換えられていく。こわい。
ただでさえ、色も形も見えない気持ちを、文字や言葉に置き換えることだって相当無理があるのに、ましてやそれが雑な言葉になると、もう、ね、自分が消えていく感じすらある。
使える言葉が減るとこわい。あのねえ、語彙が減ると、価値観もやせ細るんだ。
今見てていちばんこわいなあと思ってるのが、有名人の言動に対する評価。さいきん「神対応」か「炎上」のどちらかじゃないか。
いいか悪いかの2択なうえに、さらにその極端な言葉しかない。あまりにも乱暴。アンケートで、「大変おもしろかった」「大変つまらなかった」だけの選択肢だったら困るじゃない。ほら、性格診断で悩むやつよ。「あなたはすぐに怒りやすいほうですか? はい/いいえ」とかさ。
つねにネットの画面からあふれてくる「神orクソ」この2択のアンケート結果を答え続けたら、おそろしく偏った人間ができあがる。
うめざわ
※年明けあたりから始めている「一汁一菜でいい」運動続報。(ご存知ない方は土井善晴著『一汁一菜でよいという提案』をどうぞ) どうもごはんと具だくさん味噌汁だけでは食べた気にならない日も多いため、肉モノをおかずとして追加して、ごはん+味噌汁+肉おかずあたりが私にとってはベストかもと考えているところです。
今日はおやすみ
さむくてめげる。
うめざわ