「なんとなく」礼賛
「なんとなく」を徹底的に馬鹿にしていた時期がある。そうだな、10年くらい前。「生きるなら戦略的に。さもなくば獣」くらいに思ってた。自分を、人生を、コントロールしてこそ立派な人間であると信じてたわけ。
けど、変わるものです、人って。いまは「なんとなく」礼賛。なんでかって、完全なるコントロールは結局破綻したから。ぜんぜん思いどおりにならなかった。まずは、あ、コリャ無理だって、望みを砕かれ。そこから打ちひしがれて、しばらくずっと下向いて。下向くの飽きてふっと前見たら、思いも寄らぬところに流されていたのだ。で、こっちのほうが楽しいぞって気づいた。
しばらくたって今。「なんとなく」生きるのは、流されて楽ちん!なだけでなく、意外と意思の力が必要だと知る。
「自分は明確にこう思う」ということを押し通すことは、ある意味でたやすいことだけど、「なんとなくだけど、やだな」「なんとなく、やりたいな」ということを、スッと押し通すような生活や仕事をする。
うめざわ
※鯖豆腐ハンバーグを食べる。みじん切りの鯖と豆腐とタマネギを練って焼いてトマトソースで煮込んで。おいしい。そして気づく。ハンバーグとは?
雨音は空の拍手か
拍手の音が密になると、どんどん雨音に似てくる。どしゃぶりの季節だもの、すさまじい通り雨は、お空のスタンディングオベーションだと思おう。
うめざわ
※なんでもいいけど舞台公演を見に行くとさ、拍手でしか「おもしろかった!」を伝えられないのがもどかしいよね。どんだけがんばっても拍手の大きさは限りがあるから、せめて立ち上がってありがとうと言いたくなるわけで、わりと頻繁にスタンディングオベーションに遭遇しますね。
今日はびっくり
え、今年の半分がもう終わったの。明日は7月。そんなんうそだあ。
うめざわ
※あ、茅の輪くぐってない