やどかり

昼のお星は目に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすゞ)

あなた方が私を選んだのではない

えー、みなさま、理想の恋愛模様の提供ありがとうございました。
 
私のなかでは、結構「理想の恋愛」ってのがポイントだったのです。
好きなタイプじゃなくて、好きな関係性が知りたかったのですよ。
 
ええと、ただ知りたかっただけなので、それをうけて何か、というわけではありません。
特にFacebookのコメント欄をご覧になれる方は、そちらを見て、共感したり突っ込んだりして楽しんでください(人任せ)
 
あ、そうそう、そっから思い出した話をしよう。
主体性の話。
 
えっと、私が好きな「キッチン」のみかげと雄一の関係性には、みかげの主体性がないから嫌だっていう指摘があって。
 
まあ確かにそうなのよ、みかげは親族がみんななくなって完全に孤独になったとき、雄一に声かけられて、雄一とその母と3人で同居して、そこから、ってことだから、彼女に主体性がないっていうのは正しいと思うのだけど。
 
これに対してはなあ、思うことがあるのだ。
恋愛の話からは外れるし、私の価値観の根本にあるものの話だから、たぶん誰も面白くないんだけど、言うね。
(友人のブログ読んで思い出したのだ。思い出させてくれてありがとう)
 
 
ええとだな、私は、運命をとても信頼しているのだ。
極論すれば、人間の自由意志なんてないとも思ってるのだ。
 
私たちの人生は、運命というかなんというかサムシンググレートなものによって、ぜんぶ完璧に決められてて、それが最善って信じているのです。
 
自分で選び取ったと思ってるものでも、それは、そうなるように決められてたって思うわけです。
 
我が母校では、中学の入学式のときに必ず
「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ」というイエスが弟子に語ったとされる聖句が紹介されて、
「みなさんは、自分でこの学校を選んで勉強して受験して合格したと思っていると思いますが、実はそうではなくて、神がお決めになったことなのです」というようなことを言われて、
「は?」と思いながら学校生活を始めていたわけですが、
そこから10年以上たって、ああ、そうかもしれないなあと、少しだけわかった気がします。
 
 
自分の人生、自分で決めてるってふつう思うし、そう思いたいけど、
たぶん、そうじゃないんだよなーと。
自分の力でぜんぶなんとかなるって思っちゃうからこそ、どうにもならない自分とか他人とかが許せなくなるんだろうなあと。
 
自分がいま、こういう自分になっているのなんて、
たまたまそうなった、ってそれ以上でもそれ以下でもない気がするのだよなあ。
自分の努力の賜物、なんかじゃなくて、運がよかっただけなんだろうなと。
 
うめざわ
※中学生くらいのとき意味不明だった聞いたことばが、だんだんうーっすらとわかるようになってくるこの過程はほんとに楽しいな。そういう意味では、聖書を読まされたあの6年間はよかったなと思う。(懐かしい方は、前院長の名前と入学式で検索するとあのお話が読めますよ)